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落としもの_2024年2月14水/快晴

ぽかぽか陽が気持ちいいから休憩しようと思ったときのこと。
駅前のベンチへ近づいたわたしは、
そのベンチのそばに、
財布が落ちているのをみつけた。

黒革でところどころが剥げてる、使い込んだ男物だ。
財布の端からお札がはみだしてみえる。
いくらかわからないが、お金である、ラッキーである。
こころが踊った。

近くに交番があることは知っている。
お金だけ抜いて財布を届ける人もいるというから、
やってみようか。

そのとき、
「いや待て」と制したのは、昔の記憶だった。
わたしの落とした財布が拾われ、
お金もそのまま届けられたという
夢のような経験をしたことがあった。
たしか数万円は入れていたと思う、
ほかにカードもなにもかも手つかずだったから感激したっけ。
お礼を言いたいとおまわりさんに聞くと、
拾い主は名前も住所も告げなかったそうだ。

あの感じを落とし主にも味わってほしいなと思ったわたしは、
財布を届けることにした。

で、そうすることにして、交番にいくのはあとにした。
落とし主が戻ってくるかもしれないと思ったからだ。
財布が無事に落ちてるということは、そんなに時間はたってないはずだし。
会って渡せるならステキじゃないかと思った。
だからわたしは財布を道から拾いあげ、
ベンチの中央に座ってから、財布をその左隣に置き、
落とし主を待つことにした。

気をつけるべきは、
「早足で焦ったようにこちらに向かってくる男の人」と決めた。

でも、駅なのだから電車に乗った可能性もあるな。
そうなると、財布がないことに気づくのはランチ時かもしれない。
とにかくもう少し待つけれど。
それに、「早足で焦ったようにこちらに向かってくる男の人」が
思うほかたくさんいて、よくわからない。
そう、ここは駅である。
もしかしら、男ではなく
「主人が財布を落として」と女の人が来るかもしれないではないか。
どんな人がくるのかしら。
会ったら、笑って財布を渡すといいよね、やっぱり。

「お年寄りに席を譲りましょう」と習った一年生が
バスの中で「お年寄り」を見つけようとしてソワソワするのと同じである。
わたしは、財布を渡す親切を「やってみたい」のが強すぎるのかもしれない。

とか考えてたら、ほんとうに落とし主が現れた。

片手に杖をついた年配の男の人がコートを着て、介助役のような若い女の人と一緒に、わたしの横に立っている。
「さいふ」と言ってベンチの財布を見つめてから少し間があったから、
からだが不自由なのかもしれない。

とっさに「どうぞ」と財布を左手で差し出したのだけど、
受けとってくれて、女の人が「これ?」と聞いたら彼はうなずいた。

そのあと、彼が口にした「ありがとう」なのだけど、
これが抑揚なく、どちらかというとそっけなかった。
でも、そのそっけなさがよかったんだなぁ。
なんでかわからないけど、
それまでの、見栄とか欲とかが一瞬で吹き飛んじゃったのだ。
期待してた目を麗すような「ありがとう」なんて、
どうでもよくなっていた。

男の人と女の人は、もと来た道をもどっていき、
「よかったね」ともう一人の女の人の声がした。
全部で三人なのかな、ゆっくり歩いていくのが、
わたしからは見えないけれどわかった。

それにしても、なんだか「そう思ったこと」が起こったぞ。
あの男の人にしても、
財布がみつかることが「そう思ったこと」だろうから同じだろう。
「縁」ってこんにふうにつながるんだね。

あ、そっか。財布の中のお金をちゃんと見なかったから
ドキドキできたのかもしれないな。












よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。