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東京にないもの_2024年3月13水/快晴

これは前から考えていたことなんだけど。
よく、「東京」にはなにもない、という言い方があるじゃない?
まわりを見ればビルばかりで、山や野原がない、
上を見ても空気が汚れて、空に星がない、
獲りたてのおいしいものが食べられない、
人はどこかよそよそしくて情が感じられない、
これではコンクリートジャングルじゃないか、と。
たしかに、「東京」は、消費するばかりの街かもしれない。
どこかの畑で育った野菜を食べ、
どこかの工場でできた服を買い、
それでことが足りるとしてしまう。
その意味で「東京」は「間接」の街といってもいい。
すべてが「間接」でできているから、
そういうことに慣れるに従って、
思考はどんどん内向きになっていく。
だから「東京」は
「孤独」を感じようと思えばいくらでも感じられる街だ。

だけど、ね、
「東京」にはけっこう、「自然」があるんです。
と、やや強引にわたしは言ってみたいのだ。
都内に山はないけれど、
新宿御苑や駒沢公園、光が丘公園のような大きい公園や
住宅街のあちこちには小公園がつくられていて、
そこで木々や草花、虫や鳥が生きている。
人は「緑」がないと生きていけない。
野原を切り開いてできた「都市」だからこそ、
安心して暮らせるように計画的に「緑」が置かれているんだよね。
住宅の庭木たちだって、なかなかの「自然」ですよ。
「緑そばに」という意識が強いぶん、
かえってほかの土地より庭木の数が多いような気もする。

初詣で有名な明治神宮には、人工の雑木林があって。
明治時代に当時は荒地だったところに林をつくったのだけれど、
そのときに100年後の姿を計算していて、
まず針葉樹で体裁をつくって、そのすき間に広葉樹を植えた。
ゆっくり育つ広葉樹が、やがて原生林をつくり
都内にいのちの循環を生む姿を目指したのだった。
人工林を成功させるのは珍しいことのようだけど、
人はこうして林もつくれるんだよね。

人は、山を崩したり畑にしたり宅地にしたりCO2を出したりするけれど、
やっぱり、緑が恋しくて木を植えたりするいきものなのだ。
「人も自然の一部なのだ」ということなら
人が土地やいきものに対してする営みそのものも
「自然の循環の一部」だ、と最近は思えるようになっている。

そんなわけで、
「東京」では、ちょっと目線を上げると、
意外なほどたくさんの木々に出会えますよ。
わたしといえば、
そんなみなさんのつくってくれた「自然」を眺めながらよく歩いている。

「東京」だけでなく「都市」にないものといえば、静けさかもしれないね。



よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。