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郷御前はなぜ殺されたのか。静御前はなぜ歌ったのか。鎌倉殿の13人

静御前はなぜ名乗らないのか。


自分が静だと認めたら、命が危ない。
名乗るか名乗らないか、認めるか認めないか。
お腹には、やや子がいる。九郎義経の子。
謀るか、謀らないか。最後の最後まで迷う。
だからこそ輝く、満座のなかで歌いながら舞う白拍子。

しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな

静よ静よと、あの方がわたしを呼んだ、あのころに戻りたい。
だって今もお慕いしているのだから。
この歌を、九郎を追い落とした頼朝の前で歌う。
名乗りながら、示しながら。
自分が、九郎の寵愛を受けた静御前で、今もこころは変わっていないことを。

源平時代の名シーンのひとつ、しずやしず。
それまでの演技で、命懸けでしずやしずをしそうになかった静御前の、おそらく吹き替えの歌があんまり見事で、圧巻だった。
歌だけで目頭が熱くなった。

郷御前はどうして殺されるのか。


九郎の正室、郷御前。九郎は死を前にして、妻子を自身の手で殺す。
この時代、夫が討たれても、妻子までは殺されない。子も女子であれば、まず助命される。
なのにどうして殺したか。
それはおそらく、自身の母、常盤御前が、平清盛の愛妾となったから。
敗軍の将の妻や子たちがどういう人生を歩まなければいけなかったのか、自分がとてもよく知っているから。
だから共にいくことにした。
自らの手で結末をもたらした。
そう言われているものの、本当のところはわからない。
だから脚本の三谷さんはこうしたんだろうなと思った。
発作的に九郎が郷御前を殺した。
頼朝が九郎を暗殺しようとした計略は、頼朝ではなく、郷御前が謀ったものだった。
郷御前が謀らなければ、九郎と頼朝はこんがらがらずに済んだ。
誤解せずに済んだ。追い落とされずに済んだ。
郷御前がいなければ。
その代償を、郷御前は命をもってあがなった。
4歳の女児とともに。
一家の滅亡とともに。
九郎の血は途絶えた。

景時がもたらす救い


景時と九郎の仲が悪いのは、有名である。
景時が九郎の才を妬んだともいうし、九郎自身が傲岸不遜だったともいう。
九郎を窮地に追い詰めたのは、景時だったともいう。
なのに、大河の景時は、九郎の才能を一番評価する人物だった。
「この担任の先生だけはわが子を認めてくれてる」みたいな気になる。
景時に感謝。このあとの景時がどうなるかたのしみ。感謝。

しばらくは九郎の喪に服します。感謝。

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