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食堂のおっちゃんは、パスワードをわたしに聞いてくる。知らんがな。そして訃報。

職場の調理師のおっちゃんは、食堂がしまっているとき、たまにおべんとうをくれる。
「家族4人分つくるのも、5人分も変わらん」と毎回いう。
「ありもので作ったからな」と、「男のまかない飯やで」も、毎回つけてくる。
ななめ下を見たまま、ほほえみもなく、レジ袋に入ったタッパーを手渡して去る。
ことばも、いい方も、語尾もあらい。
ぶっきらぼうで、責めているようにも聞こえる。
映えなんて気にしないお弁当は、ただただ、ぎっしり詰まっていた。
おかずの下におかずが埋まっていた。
コンビニのドレッシングも、インスタント味噌汁も、割り箸もついていた。
味つけは食堂と同じだった。


 
調理師の山井さんは話すとき、はくはくと、くちびるをわななかせる。
いいよどむ。必ず、どもる。
長いまつげをふるわせ、黒目のほうが大きい眼は、ひたと向いている。
皮膚の下の血が透けるほど色白で、血ののぼった頬に、くちびるはあかあかと、水仕事でふやけた指は、ぶあつく白浮きしている。
 
わたしが赴任してきてすぐ、初対面のときに、山井さんはいった。
「前任の、あのおとなしそうな男の人、最近結婚したって知ってる?再婚ってほんま?」
とっさに肯定したら、わけ知り顔でいう。
「40才すぎてるし、すでに結婚してたんちゃうかと思ったんやけどな、本人には聞かれへんかってん」
そ、そうか。
来たばかりの転任者には、いきなり聞いてくる。
 
山井さんは話好きで、うちにくるまえは、バーの調理場にいたらしい。
そこで見聞きした痴話喧嘩や人間模様を、よく披露しにきた。
仕事中に。
おもいっきり忙しいときに。
話はとぎれることなく、話題につきるところがない。
つまり、おわりがない。
ながれるようにもたらされる、なまなましいメロドラマ。
ほかのスタッフは、涼やかにパソコンにむかっている。
  
山井さんは事務作業が苦手らしく、わかりやすくわたしにスライドをかけてくる。
食堂のしごとを、なぜかわたしがしている。
あげくの果てには、山井さんのアカウント名とパスワードを、わたしに聞いてきた。
知らんがな。
知ってたら、あかんがな。
  
こればっかりは自分でしないといけない、人事にかかわる調査のとき、どこにアクセスしていいかわからないと、となりのPCをさわりにきた。
平仮名がでないというから、カナ入力にしてあげる。
ふと横をみると、人事評価シートを、右手のひとさし指だけで、ぽちぽち打っている。
右手のひとさし指だけで!
唐突に、叫び声が聞こえた。
びっくりするがな。
あんまり時間がかかりすぎて、保存ボタンをおしたときに、タイムアウトしたらしい。
悲劇。
そりゃ叫ぶわ。
しかも既視感。
まぎれもない既視感。
前も山井さんは、同じことをしていた。
歴史は繰り返される。
にもかかわらず、また右手のひとさし指だけがひらめく。
ぽち、ぽちと音がする
かなしい。とてもかなしい。絶対またやる。
あまりにあわれで、「かわりに打ちましょうか」と、つい言った。
山井さんは首をふる。
ついに自分で打ちおわったとき、照れたようにいった。
「1時間半もかかってしまった」

ある日突然、栄養士のおねえさんが、社内不倫から妊娠、離婚、結婚、退職というコンボをきめることになった。
そのおねえさんは、山井さんの上司だったので、すべてのしごとが山井さんにのっかっていった。
帰宅の遅さが、一二を争うようになった。
山井さんはよく「あんなええ子が来てくれて」といっていたので、「あの子のしあわせのためやからな」と下をむいていう。
後任は、しばらく空席だった。
  
ちなみにその相手の男性は、忘年会のときに、みんなの前で土下座をした。
忘れもしない。
両手をついて、大きな声で「すみませんでした」と、一気に言った。
沈黙を破ったのは、何も知らない人が言ったセリフだった。
「あれ、ご結婚されていませんでしたっけ」
みんな酔ぱらっていたのに、場が凍った。
人生はいろんな経験を与えてくれる。
ついでながらわたしは、寝ぼけまなこで朝、自分のひきだしをあけたら、他人の辞表が入っていたという得難い経験もした。
 
山井さんの本業は調理師だけど、昆虫や草木が好きで、なにかの幼虫を30匹つかまえたといっていた。なんのために。
めずらしい西洋タンポポが敷地のすみに咲いていたと、わざわざひっぱっていかれたこともある。
タンポポのために仕事中、連行されるわたし。
たしかに迫力があるのに、清楚だった。
敷地内の花木のどれが去年より早く咲いたか、もうすぐ何が咲くのか、聞いてないのに、インフォメーションをもたらしてくる。
 
しごとがややこしい話を、やや誇張気味に話したら、次にあらわれたとき、ぬぼっと立っていた。
片目でちら見をして「いま、忙しい?」と聞いてきた。
遠慮はするらしい。
わかりやすくするらしい。
笑いながら「大丈夫ですよ」というほかない。
気がつけばまた、何の話かよくわからない話を、聞いているような、聞いていないような感じで、打ち返している。
エンドレス与太話。

「ごはんちゃんと食べてんの」
目線を合わせないまま、山井さんはいう。怒ったような声にも聞こえる。
いつも脈絡はない。
「ええ人おらんの」
とも、言われた。セクハラになるから誰も言わないのに。
落第した学生に、来年があるよというような声色だった。
とても言いにくそうに言うのに、人が言わないことをいう。

このあいだ食堂にいったら、山井さんに呼ばれた。
「今日、時間ある?」
また別のときにすれちがったら、あとでオフィスにいくという。
なんだろう。
なんだろうこのタメは。
何か食堂であったんだろうか。
別室で出くわしたら、目を合わせて、ひとつ頷いた。
そしてそのまま、どこかへ消えた。
夕方ごろに、山井さんがあらわれた。
甘夏をひとつくれて、まわりをまきこんで、いつもの与太話をひとしきりくりひろげる。
半時間ほどたった。
「ほな帰るわ」と席を立つ。
あわてて元々の用をきいたら、くちびるをふるわせた。しばらく音は出ない。
ひとこと言った。
「あまなつ」
 

 
半年たって、またわたしは転任になった。

………………
(3年後追記)
山井さんが亡くなった。
職場のネットワークに、こう表示されていた。

【訃報】山井 広様(ご本人様)

目を疑った。
ご本人様?ご尊父様じゃなくて?
タイトルをミスったのではと、pdfをひらいたら、まぎれもなく本人だった。
享年51。
「山井さんが亡くなった?」
思わず口に出してしまった。
まわりに面識ある人がいないからか、乾いた笑いが起こった。温度差がひどい。
信じていないのに、こらえきれず、あとからあとからこぼれた。奥歯を噛む。
しばらくして、転任前の課長が、声をかけてくれた。
「驚いたよね」
いたわる目をしていた。眉尻が大きく下がっている。
その顔を見て、ほっとした。ああ、わたしだけじゃない。悼んでいる人がいる。
人通りの多い廊下のソファで、A4一枚を見せてくれた。
突発的な病死だった。
倒れてそのまま亡くなっていた。
前日も、あいかわらず1時間も与太話をくりひろげていたという。

前任地は、みんな渡り鳥のように数年いて、転勤していく。
10年以上いる人はほぼいない。
いったん転出していって、また戻ってきた人がいう。
「所長と山井さんしか、知ってる人がもういなくなってて、さびしい」
所長と並んで、ただの食堂のおっちゃんが名前をあげられる。
主のように、ずっといるはずだったのに。
前任地に寄ったら、地下まで行って、ガラス越しに手をふろうと思っていたのに。
人は急にいなくなる。
ぎゅうぎゅうに詰まったお弁当が、おかずの下におかずが埋められているお弁当が、記憶の道すじのなかに、点々と置いてあることを、伝えずにおわってしまった。

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