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友達ってなんだろう、義務感とグループに属している私というマインドのため?なんのため?

わたしは田舎の生まれで、保育園、小学校、中学校を共にした数人の友人グループがある。この10年ずうっと一緒にいたわけではない。

小学校高学年で3人ぐらいで仲良かったり、保育園の頃一緒に撮った写真があったり、同じ地域に住んでいたり…。6人がずっと10年過ごしてきたわけだはなく、他のクラスメイトが混ざったり色々しながら、中学2年生の時に偶然全員が同じクラスになって、なんとなくこのメンバーが固まってできた。

中学生なので、グループ名をつけてプリクラに書く。

田舎のヤンキーが多い学校の中で、まじめでそこそこ頭もよくみたいなタイプが集まっていた。当時は部長や生徒会、県大会出場みたいな感じで、今もみんなお堅い職業についている。(私だけ帰宅部で生徒会でもなく内申も気にしない、今思うとこいつ大丈夫か)

当時はすごく居心地がよかった。

けど今は?中学を卒業して、高校はバラバラ。私と何人かは遠方の高校に行った。それでもこのメンバーで集まろう、と長期休みには必ずこのメンバーで集まった。

地元の高校に進んだ子達は、何高校の誰々と付き合ってて、あの子は〜と地元トーク。私は何もついていけなかった。中学で部活をしてなかったから、そういう繋がりもなかった。

それに私は高校がとても心地よかったのだ。中学の時に感じていた、居心地のよさの裏には少しだけ居心地の悪さがあった。私は中学から海外ドラマにハマり、洋楽を聞き出した。本をよく読んだ。

今思えば、私が心を開いて話していれば、受け入れられていただろう。けれど中学生の私は、えっそんなの聞くんだwという言葉に耐えられなくて、自分の趣味を話せなかった。がんばって皆が聞く音楽を聞いたし、みんなが見るテレビを見た。

けど私が進んだ高校は、コース制をとっていて、まあ自分と似たような趣味の人、全然わかんない趣味の人、色々な人がいたけど、すごく寛容なクラスだった。

幸せだった。

自分の好きな物のことをはなせて、嘲笑されることも無く、興味を追求できた。

こんな居心地のいい場所があったんだって、けど長期休みにはグループで集まる。段々と心がはなれていく自分を感じていた。

中学は、中学という地域の縛りで集まった中でなんとなく似たもの同士が集まって、中学という共通の話題があったけど、趣味は共通している訳では無い。

高校はそれぞれが選んだ場所、それだけで似た者が集まりがちなのにその上で友達を作る。趣味が似ていたり、価値観が同じだったり。

大学になっても、長期休みにはグループで集まろう、という感じが続いた。そんなことを思っているなら止めれば良いじゃないか、と思われるかもしれないが、「地元に必ず集まる友達がいるわたし」というものを保ちたいのではないかという思いがある。義務感に感じてしまう。集まろう、集まれないか残念、次は絶対、なんだかテンプレートに見えて、形骸化した会議みたいな気持ちになってしまう。

別に嫌いじゃない、共にすごした学生時代の思い出に花を咲かせる。わたしたちの集まりは段々と近況報告と、あの頃の私たちの話になっている。わたしたちが今好きな物や、考えていることではない。

わたしたちの関係ってなんなんだろう、結婚式に呼んでね、呼ぶよ、私は呼ぶのだろうか。



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