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フミサン:異界への入り口①

友人数人で京都の神社を参拝したことがある。いつまでも神前で長々とお祈りしている私は「どんだけ欲深なの!」と笑われた。神社やお寺の前を通り過ぎると必ずお参りしたくなるし、「神様」や「仏様」にちょこっと会釈では物足りない気がして、ついつい長くなる。宗教とはそれほど関係がない。増してや宗派もそれほど関係がない。アントワープの大聖堂にも長居をしたし、メトロポリタン美術館にいらっしゃる(連れてこられた)アジアの仏像やエジプトの神像などにもご挨拶したい気持ちになるし、山の辺で行き合うポツンとしたお地蔵さまの前にも佇む。これは信仰というよりもむしろ習慣だから仕方がない。

フミさんの生息する「奥の部屋」には立派なお仏壇があり、その上には榊を欠かしたことのない神棚がある。この部屋は最初からそこに祭壇を祀ることを目的に図面が引かれていたらしく、仏壇も神棚もピッタリと空間に収まっていた。フミさんは朝一番にご飯を炊いて、炊き立てのご飯をお仏壇と神棚に供える。お供え用の、脚のついた小さな金色のカップを見て、神さまも仏さまもずいぶん少食なんだなあと思ったものだ。それから、いや、その前に、お供えの「お水」を取り替える。目に見えない「向こう側の人」や「仏」や「神」も喉が渇くし、綺麗なお水を飲みたいのだという、本当は飛躍しているはずの考えが当たり前に思えたのは、フミさんがそれを一日も欠かさず繰り返し、私にも「向こう側の人」にもどこか同じように接していたからだと思う。

いつからかは分からない。気がついたらフミさんの横で小さな手を合わせるようになっていた。会ったことのないおじいちゃんにお参りしなさい、と言われて始めたのか。それともただフミさんの真似をしたのか。お仏壇の鐘の鳴らし方も覚えたし、お線香や蝋燭も灯せるようになった。私がごく小さい頃からマッチが擦れたのは、このお参りの習慣のせいだ。フミさんがある日、私の手を取って擦り方を教えてくれた。蝋燭の火を吹き消してはいけないこと、神棚をお参りするには両手を合わせてパンパンと打つこと、「仏様」は肉や魚を食べないし、生臭物を供えてはいけないこともいつしか覚えた。ご飯をてんこ盛りにすると厳しく叱られた。お箸を突き刺すなんてのはもってのほか。しきたりとか迷信と言ってしまえば素っ気ないが、そうした不思議な決まりや約束は今流れている日常という一つの世界とは別の世界がすぐそこに隠れていることの符牒で、その謎めいた世界と接続するためのダイアルの番号のようだった。

お線香と蝋燭を灯すと、フミさんはとても長い呪文のようなものを唱える。それはいつまで経っても、私には覚えられなかった。声が大きくなったり、小さくなったりやたらとうねる上に、訛りもあるからよく聞こえない。何年も隣に座って手を合わせているうちに、私も少しずつ大きくなり、それが「お経」らしきものだと知ったが、フミさん流の「お経」はお坊さんがお盆にきて唱えるやつともなんだか違うフュージョン的な何かだった。その一部は戒名で、長くて○○院、、、、居士、というのが私のおじいちゃんであることを知り、もう一人、最後に必ず唱えられるとても短い戒名は生まれてすぐに亡くなった女の子だということをいつか知った。私の母のお姉さんになるはずの人だった。お仏壇には私のひいお爺さんとひいお婆さん、それからおじいさんの写真しか飾られていなかったけれども。お供えは、いつも溢れるくらいに置かれていて、夏は枝豆や桃、冬はおせんべいやみかん、「人様」から頂いたものをまず「仏様」に供えなかったことはなかった。そう、フミさんは「人様」ってよく言ってたっけ。こうして並べてみると、こちら世界の住人、あちら世界の住人、そのどちらもが、確かにそこにいると感じられ応じられていたことが腑に落ちる気がする。ある時お菓子を二つお供えしたら、フミさんに叱られた。次からは三つにした。今でも「お供え」をする時、その事を思い出す。なんで二つはいけないんだろう、と思いながら、つい二つしかないお菓子を供えて、ごめんなさいと囁いたりする。

フミさんはとても信心深かった。それはきっと、自分の大切な人の何人もが、随分と若い時から「向こう側」の住人になってしまっていたからじゃないかと思う。そして、戦争の前や途中や後の体験があって、ますます、生きている「こっち側の人」の健康で安らかな日々が神仏に朝夕祈らずにはいられないくらい切実なことになったんじゃないかと思う。

一方、私が朝晩この「お祈り」に参加したのはたった一つのことを神さま仏さまにお願いするためだった。それは「おばあちゃんが百歳まで、二百歳まで、生きられますように」という、なかなかに欲張りなお願いだった。フミさんは、若いおばあちゃんじゃなかったから、ある日この世界からいなくなることが心配で仕方なかった。一生懸命お願いすれば、きっとその通りになるという変な確信があって、小さな手を合わせて、むにゃむにゃと、でもすごく真面目に心の中でこの「お願い」を毎日唱えた。今でも時々、フミさんがどこかにいなくなる夢を見て不安で胸がいっぱいになることがある。そして、ああそうだった、もうずっと前に「向こう側」に行っちゃったんだった、と気づいた瞬間、奇妙にホッとして目が覚める。

そんなわけで、「向こう側」の世界は私にとってはお馴染みすぎる世界なので、スピリチュアルブームは横目でニヤニヤしながら眺め、カルトにハマる心配もたぶんない。異界は日常の中のそこここに顔を覗かせていて、それをごく普通の当たり前として過ごして、時にはその境目をウロウロしながら「それ」と付き合うやり方が、フミさんと暮らしていたらすっかり身についてしまったから。それはマッチを擦る時の指先の感覚、軸と箱の絶妙な角度とスピードのように、一度身についたら消えることがない体質のようなものだ。現実の時間や場所で詩のカケラもないようなことをしている時にも、時々レンズの焦点を合わせたり緩めたりするようにして向こう側の世界を透かして見る。大抵そこには詩の塊や情感のグラデーションがいっぱい落ちていて、思わず「わあ」と心の中で叫ぶのだ。

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