見出し画像

フミサン: 異界への入り口② お狐さまのこと

宗旨も宗派もあまり関係なくて、お社があると参拝したくなります、というのは概ね本当だけれど、実は少しだけ正確じゃない。お狐さま、つまり、お稲荷さまは特別で、道を歩いていてこちらに出くわすと、どんなに急いでいる時でもご挨拶せずにはいられない。これは遡るとフミさんがお稲荷さまに特別な思い入れがあったからで、更に遡ると家に残る不思議な「言い伝え」にたどり着く。遠野物語の一章か、松谷みよ子も思わずメモを走らせそうな、この奇異な物語をまずはとくとお聞きあれ。

この家がお稲荷さまを信仰するようになったのには、こんな物語があります。ある夜。家の者が不思議な夢を見ました。その夢は、家にいる狐たちがいっせいに荷物をまとめて引っ越しするという夢でした。その夢を見てからすぐに、家が火事になりました。お狐さまがいらっしゃらなくなったから、家が禍に見舞われたのだ、とみんなが言いました。それから、この家では祠を作り、お稲荷さまをお祀りするようになったのです。それから家は栄え、禍に見舞われることはありませんでした。

さて、フミさんから何度もこの話を聞いたのに、細かい記憶が定かではない。もしかすると、この話はこうだったかもしれない。

その家には昔から小さなお稲荷様の祠がありました。ある夜のこと。家の者がとても不思議な夢を見ました。それは狐たちがいっせいに荷物をまとめて引っ越しするという夢でした。その夢を見てからすぐに、家が火事になりました。お狐さまが災いを知らせたのだとみんなは言いました。それから、お稲荷様の祠を前よりも大切にするようになりました。それから家は栄えたという話です。

この話の方が、狐たちが家からいなくなってしまうという話の筋にしっくりいく。
いや、もしかすると、話は更にこうだったかもしれない。

昔々のこと。その家には古くから小さなお稲荷様の祠がありました。でも家の人はあまりその祠のことは気にかけずに暮らしていました。ある夜のこと。家の者が不思議な夢を見ました。それは家に住みついている狐たちがいっせいに荷物をまとめて、引っ越ししてしまうという夢でした。その夢を見てからすぐ、家は火事になりました。家を守ってくださるお狐さまがいなくなったからだ、とみんなは言いました。それから、お稲荷様を今までよりも大切にして、お祀りするようになりました。するとある夜、狐たちがまた引っ越してくる夢を見ました。それからその家は栄え、禍に遭うこともなかったということです。いちがぽーんとさけた。

フミさんの話は、この三つのバージョンのどこか途中あたりにあったと思う。話すたびに少しずつ違っていたような気がする。繰り返し話し、伝えられていくうちにたくさん尾鰭がついたり、省略されたりして本当にあった話が「昔話」や「伝説」になっていくのだろうから、2.5番目くらいのバージョンを我が家の伝説として記憶しておいても許してもらえそうだ。

「お狐さまたちの引っ越し」があったのがフミさんの子供の頃のことだったのか、それは聞き損ねた。

まだ物心つくかつかないかの頃、フミさんに連れられて、お煎餅工場のある街の大きなお稲荷様に何度も行った。バスだったか電車だったか。なぜか冬場が多く、お社への道はぬかるんでいて、灰色の雲が背景を埋め尽くしていた。毛糸の首巻きをしっかり巻いて、指が親指のところしか分かれていない鍋つかみのような手袋をはめ、ほっぺたを真っ赤にして鼻を啜りながら行ったと思う。といっても本当の冬にはすっぽり山盛りの雪で街が閉ざされてしまうような土地柄だから、秋口か早春だったのだと思う。なぜ私が連れていかれたのかは分からない。小さな子供で、昼間でも家にいたからかもしれない。なんでこんな遠くて辺鄙なところに来るんだろう、とお出かけの興奮よりもモノトーンの不安が入り込み始めた心で見上げると、赤、ではなくて、朱色、のとてもとても大きな鳥居がそこにワっとあって、不安は不思議と好奇心へと色を変じ、手を繋いだ二人は一気に異界へと吸い込まれてゆく。今、地図で調べると、そのお社はその当時の私たちの家から電車でほんの30分の場所にある。果てしなく遠い、と感じたのはたぶん私が幼かったからで、窓から見える一つの山、登っていく一つの石段、飛んでゆく一羽の鳥のどれもが初めて見るもので愛おしく、一秒一秒を今よりもずっとゆっくりと、百万光年の遅さで呼吸していたせいだと思う。一つの息の中に無数の泡のような wonder が立ち上り、それがありとあらゆる色彩を放ちながら光になって空とつながり、それから奥の方へしっかりと刻み込まれていった。

聖域に入る前に水で手と口とを清める、というのを初めて知ったのは、この大鳥居の傍だったように思う。緊張で不安そうな眼差しの赤いほっぺの手をフミさんが引き、段々を登って中へ入る、や否や、溶けた蝋の匂いに満たされてしまう。赤、緑、黄、紫、白の五色の蝋燭にはそれぞれ別の祈りが込められていて、私もいつも一本か二本、蝋燭立ての空いている場所へ蝋燭を供えた。五色には供える順番が決まっていて、私もフミさんも神妙にそれに従った。炎が揺れている。いっぱいの焔が揺れている。視界にいっぱいの、何百もの焔が揺れている。人間はそこでは、声を抑えて囁く。それが土の声か風のうねりのように聞こえる。笛の音 がして金の冠を被った巫女舞が現れ、手に持った鈴を手首を返して鳴らす。神官が御幣で祓う音は森の奥の、突然の風にさやぐ木の枝葉か、飛び立つ鳥の羽音を連想した。

フミさんは時には、別室で「相談」をすることもあった。悩み事相談のようなものだったのだろうか。私は横で緊張しながらお茶を飲んだり、みかんを食べたりして待っていたように思う。フミさんの悩みがなんだったのか、覚えていない。子供の前で話せるようなことだったから、それほど深刻な話題でもなかったのだろうか。私も姉も子供の頃体が弱かったから、そんな話もあったかもしれない。

こう紐解いていくと、フミさんのお狐さま信仰はかなりのものだったと言えるけれど、案外それ一筋というわけでもなくて、石段をずっとずっと登っていく場所にある龍の神様のところにも時々お参りしていたし、その辺はとても自由だった。日常が信仰に溺れるようなことも少しもなくて、とても真っ直ぐで真剣なのに現世的でドライなところもあり、その異界とのバランス感覚はある時代の人特有なものだったのかもしれない。私はその「古い」感覚を、どうやら一世代分飛び越えて受け継いでしまったようだ。

フミさんが生まれた村の、鎮守さまの森に湧水があったそうだ。とてもおいしい
水で、フミさんのお気に入りの場所だったらしい。ずっとずっと昔に、一度だけそこを探しに行ったことがある。夏の日で、草が生い茂り、虫の羽音の向こうに光が踊っていた。道なき道を登る細い石段は苔むして角がとれ、小さな社はまっすぐなところをなくして柔らかな線になり、今にも森に飲み込めれてしまいそうだった。湧水があったという場所は結局よく分からなかった。

今は涸れてしまったというその泉の水を、私は今でも時々こっそり飲みにいって、生きているのだと思う。
もちろんフミさんも元気な姿でそこに佇んで微笑んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?