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フミサン:匂いと光のマップ

玄関を入ると、正面に洋間があり、玄関の上りがまちのすぐ右手に汲み取り式のお便所がある。その隣には玄関と奥の部屋を分け隔てるドアノブつきの木製の「戸」があって、その横には斜め上に登っていく二階への階段がある。レイアウトを思い出そうとすると、どうやってもキュビズムの絵のような不可解さにたどり着く。謎と言われているサザエさんの家の間取りの方が簡単に頭に浮かぶくらいで、高校生まで住んでいた懐かしい「我が家」の見取り図は切れ切れで、どうやっても平面には収まらない。

初めから、不思議な家だったのだ。どういう経緯だったのか、その家は設計士の先生ではなく、設計のことなど何もしらない母が図面を引いて作った家だという話だった。餅は餅屋。紺は紺屋。家は設計士。ピアノの先生が家の図面など引いてはいけない。そのおかげで、私たちはどうにも三次元には収まりきらない四次元の空間に住まうことになった。玄関横にある「戸」は、私の隠れ家になった。恥ずかしがりだった私は玄関に誰か人が来ると、この「戸」の後ろに隠れ、戸を半分くらい開けるとできる「戸」と「柱」の間の隙間から、様子を伺うのがいつものことだった。玄関横にいきなりお便所を作ったのは、玄関すぐの洋間が母のピアノ教室として使われていて、毎日やってくる生徒さんもすぐに「用が足せる」ようにとの配慮だったに違いない。二階はプライベートな空間だったから、そこから降りて行ってピアノの生徒さんに鉢合わせたりするのは不都合だった。「戸」の後ろに階段があったらよかったのだけれど、母にはそんな設計の技術はなかった。というわけで、「戸」の後ろのみならず、階段の中途で、私はしばしば息を潜めて玄関を伺い、誰かに行き合わないように注意しながらダダダダダッと段々を駆け降り、「戸」をすり抜けて居間へと逃げ込んだものだった。

「戸」から奥へのアプローチも、今思うと奇怪な設計だった。「戸」から続く廊下の右側に突然洗面台とお風呂が現れ、その次にはダイニングテーブルも置かれた台所、その台所の左側の引き戸を開けると家族の居間が現れる。居間に誰かを通す時にはお風呂場と台所を通らねばならぬ。うちの台所はきちんと片付いていたことが一度もなかったから、居間へと通された知人や友人は、おやおやこれは、とドキドキしたのではないかと思う。居間は広めの畳の空間と、板張りの小さな空間の二つがくっついた形になっていた。板張りのスペースにはアップライトのピアノが置かれ、畳と板張りの間の桟には、柱を鋸で切った時に残るような数ミリの、不思議な四角いでっぱりがあった。なんでも、昔ここに「柵」があったらしい。その家が建ったのがほとんど私が生まれたのと同時期で、赤ん坊の私をその柵の中に入れるという発案であったらしい。人見知りで大泣きする赤ん坊だった私が大人しく柵の向こう側でニコニコしているわけもなく、あまり使われもせずにいた柵は、私が物心つく前に切り離されたということらしい。赤ん坊を入れる「柵」まで家の設計に考慮した母はなかなかのアイディアマンだけれども、赤ん坊は柵なんかに大人しく入っていないし、そして、すぐに大きくなるのである。

この居間の横に、縁側とでも呼べるような廊下があって、そこのサッシを開けると、フミさんの庭に続いていた。サッシの半分には網戸が重ねられていたけれど、夏になると蚊がたくさん入ってきた。網戸のどこかに穴が空いていることもあったし、夕方庭へ出たり入ったりする時に網戸を閉め忘れて隙間ができていたこともあった。そもそも銀色の半月型の鍵をぐるっと回して突起に引っ掛けるだけのサッシの錠は、夜になっても時々閉め忘れていたし、夏は網戸を開けっ放して寝た。よく泥棒が入らなかったなあと今になってハラハラしたりするが、その時分の田舎町のサッシから入ってくるのは蚊か蝿か近所の猫くらいだったのだ。

台所はフミさんのザ・テリトリーで、台所の隣には漬物桶が並ぶ土間があった。台所から土間にかけて、いろんな匂いがする。フミさんが大きな漬物石を動かして中身をかき混ぜている時などは特に、酸っぱく濃い匂いがした。冬になると大根をいっぱい洗って干して、たくあんを漬け、夏は梅を干し、庭に生える紫蘇の葉っぱを取ってきて梅干しを漬ける。お味噌は近所の味噌工場から樽で買っていた。私は梅干しが大嫌いで、酸っぱくなる大根の漬物も苦手だったから、フミさんの実験室=土間の前は息を止めて小走りで通り過ぎた。でも、お米屋さんが届けてくれる三ツ矢サイダーやプラッシーというオレンジ色の甘い飲み物の瓶が隠されているのもこの土間で、それは特別な日にだけどこかから取り出されて食卓を飾った。甘い液体の入った瓶には時々おがくずがくっついたりしていた。土間の奥には扉があって、外と繋がっていたはずだ。フミさんがそこを開ければ、裏に住んでいるご近所さんと行き合って、おしゃべりに花が咲く。あの漬物桶の上に置かれていたでっかい漬物石たちは、今はどこにあるのだろう。

土間の隣に、あまり使っていない小さな空間があって、なぜか洗面台がもう一つあったような気がするが、この空間を図面に入れるとどうしても家が収まらない。もしかすると、ある時から土間がなくなってこの用途不明の空間に置き換わったのではないかとすら思うが定かではない。土間の斜め向かい側、廊下の突き当たりの左側にフミさんの部屋があった。北向きというわけでもないのに、この部屋は昼間でも暗かった。大きなお仏壇と、その上に神棚があり、古い桐の箪笥ととても大きなレコードプレーヤーがあったように思う。この蓄音器と呼びたくなるような家具調のレコードプレーヤーが稼働したところを見た覚えはほとんどなくて、小型のラジカセが布団の枕元に置かれ、壁には三味線が二挺ぶら下がっていた。

フミさんの夢を見る時、この暗い「裏の部屋」がよく出てくる。どうしてあんなに薄暗い部屋をフミさんの部屋にしたのだろうと、設計家の母を恨めしく思うこともあるが、お仏壇の中にいる愛する旦那さま、すなわち私の祖父といつでもつながることができる、異界の入り口みたいな部屋をフミさんはそれほど嫌じゃなかったのかもしれない。毎朝、毎晩、フミさんは蝋燭を灯してお線香をあげ、鐘を鳴らして何やら長い長いお祈りをしていた。お線香の香りがいつも少しするその翳った部屋には、時々、もしかするといつでも、おじいちゃんが訪れていたのかもしれない。おじいちゃんはまだまだ若い年齢で戦地で亡くなり、写真の中ではいつまでも40歳くらいだった。若いといっても三人の子供を作った連れ添いだから、さまざまな思いが行き交っていたはず。

フミさんの部屋の片方の引き戸を開けると、居間の横にある縁側みたいな廊下に出る。台所の方に出たり、縁側から出たり、フミさんはあっちこっちから出てはこまごまと動き回る。何にもせずに出ることなんてない。裏の部屋の青く深い陰、夏の庭で水撒きをする光の像、どちらも私の深い場所に映し込まれて、フとした時にその映画は何度でも再生される。台所から土間へと匂いを辿り、冥界の香りがする薄暗い裏の部屋を通って光が注ぐ廊下、そして庭へと進み、花と草と土の匂いを嗅ぎながら収穫した一束の野菜をカゴに入れて、トントントンとコンクリの段を上がってサッシを越えまた台所へと向かうフミさんの淀みない軌跡を、私も小さな足でタタタタタと追いかける。土間の横ではちょっと息を止めたりしながら。


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