見出し画像

もう一度、人生に執着することにした

2年前の今頃、私は全てを無くしていたと言っても過言ではない。

その時の傷が癒えるまで、実に2年もの歳月を要したことについ最近ようやく気がついた。長いようで、あっという間の、2年間だ。


2019年の春に長く勤めていた会社を辞めて、私は仲間とともにある事業をやろうと決意していた。だが、それがたった3ヶ月程で様々な理由が絡み合って頓挫してしまった。かつての仕事も、これからやるはずだった事業も、人間関係の諸々など、全てを失った私は、これから先どうしていいか分からない状況でその場に立ち尽くしていた。
今思い出しても心がチクリと痛む出来事である。

それが、約2年前、2019年6月のことだった。

その1ヶ月後の7月、私は夫と結婚することになった。
これについてはとても不思議なものを感じている。
私たちの結婚にはそれまで様々な事情が絡み合い入籍までに問題生じていたのだが、私が仕事関係を全て清算した矢先にトントン拍子で結婚することになったのだ。それは本当に幸運だったと思う。
2つのことを同時に得ようとしてもうまくいかないというのは、この時ほど強く感じたことはない。

それから2年間、私は自分自身の「失敗」と向き合うことを避け続けて生きてきた。

私は、時々かつての仕事関係の知り合いから直接依頼を受けた仕事のみを請け負ってはいたが、半年そして1年が経ったところで、あの時の傷は癒えることはなかった。
たとえ最愛の人と結婚しても、ひとりで大好きな旅に外国へ飛び出しても、一瞬でも思い返すだけでお腹の中に黒いものが渦巻くような感覚が、私から消えることはなかった。

それぐらいに本気で取り組んできたもので、そして夢を見ていたものだったからだ。あるいは、それは本当にただの夢物語だったのかもしれない。

いずれにしても、私はかつて志した事業を少しでも連想するものや人、全てから避けたくて仕方がなかった。

挙げ句の果てに私は、今までとは全く畑の違う職場に就職して、すべてを忘れてしまうことに決めた。良いか悪いか、その会社でのくだらないしきたりや陰湿な人間関係が(確実に悪い意味だ)、嫌な出来事を新しく書き換えてくれた。
だが、自分にとってプラスにならないその会社での仕事は、やはり長くは続かなかった。
私は1年4か月程働いた後、今年の1月にその会社も退職した。

そうして私は、この3ヶ月ほどの期間で、ようやく「本当の休暇」に入ることになった。

会社での仕事も辞め、かつて夢見た事業のことも全て忘れることについに成功した。とにかく、この数年、走り続けてきた足を一度止めて、立ち止まらなければいけないような気がしていた。

そしてその決断は、今のところ正しかったと感じている。

毎日、私は朝から晩まで読書や映画などの創作物に没頭する日々が始まった。
このような暮らしをするのは、かつて、大学生だった時以来だ。
実に15年ぶりぐらいだろうか。
その日々は、私が失っていたエネルギーや迷いや妄想やトラウマなどの全て消し去ってくれようとした。
かつて好きだった小説家である村上春樹、ジェーンオースティン、夏目漱石、太宰治、角田光代から、最近読むことになったレイモンド・カーヴァー、カズオ・イシグロ、山内マリコ、桜木紫乃の作品などを片っ端に読んだ。

それらの物語の中で別のだれかの全然違う人生を垣間見ることが、私を何よりも癒してくれ、勇気付けてくれた。
自己啓発本やビジネス本などを読んでも、ちっとも動かなかった自分の心が、様々な時代の物語により、少しずつ良い方向に私を導いてくれたのだ。

だが、次第に自分で気がつくこともあった。

不思議なことに、私が心を強く惹かれる作品というのは全て女性が社会で必死に生きているような類のドラマや映画、小説だった。
それらの登場人物は、たとえどんな困難があっても、また立ち上がろうとしていた。
「もう、そういう類の世界からは、離れてしまいたい」と強く思っていたのにも関わらず、私はやはりそれらに惹かれ、そういう物語を強く求めた。

「ベターコールソウル」というアメリカの人気ドラマに登場するキム・ウェクスラーという女性弁護士がいる。
彼女はたとえ大きな事故を起こして、ギブスをはめることになっても、かつて働いていた事務所と決裂して憔悴しても、決してスーツとハイヒールを脱ぐことはなかった。

「ザ クラウン」で見る英国のエリザベス女王、「キリング・イヴ」の中のMI6の女性捜査官イヴ、昔から何度も繰り返し見てしまう「セックス・アンド・ザ・シティ」の4人。

みんな、かつて私が高校生ぐらいの頃から「こういう女性になりたい」と願っていたであろう人物像だった。

私がつい最近まで必死に追い求めてきたのは、間違いなくそういう女性だった。向き不向きや正解不正解などはわからない。だがすべて差し置いても、いつだって間違いなくそれらを求めていた。

その執着を、一度手放し、離れてみたつもりだったのに、それでも諦めの悪い私は、彼女たちに今もなお惹かれていた。

====

つい先日、アメリカから帰国したカメラマンの友人に会う機会があった。
実に10年以上ぶりだった。かつて、同じ制服を来た、女子高時代の友人だ。

これまで書店で彼女の撮る写真を何度も見かけたことがあった。その度に私は友人や、夫に自慢したものだった。「この雑誌の表紙は私の友達の写真なの」と。

「Fumiちゃんの仕事、素敵だと思うからまたもう一度、続けてみてほしいな。」

あの日会った彼女の放ったこの言葉が、私の平穏だった頭の中を、再び掻き乱すようになった。だがそれは、不快なものでも苦痛なものでもなかった。何かに突き動かされる思いがした。とても久しぶりだった。

これは、2年ぶりの感覚だった。
ようやく自分自身の心が癒えてきた証拠だと感じた。

====

これから先、自分がどうなるかは分からない。
分かっているのは、もう一度ずっと言い訳をして避け続けてきたことに、もう一度向き合ってみようとしているということだけだ。


たとえまた失敗しても、2度目だったらきっともう怖くはないだろう。
もう一度、他人に滑稽だと思われてもいいから執着してみたい。

そう思えるまで、モラトリアムのような2年間が、私には必要だったのだ。

そして、私の中の長いお休みは、そろそろ終わりを告げようとしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?