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忘れられない上司の言葉

自分に向いているか向いていないかなど、自分で簡単に決めつけてはいけないと思うようになったのは、私が新卒でアパレル企業に勤めていた22歳か23歳の時だったと思う。

人は環境に応じて変幻自在に変わることができる、ということを教えてくれたのは、紛れもなく当時の店長だ。

「性格なんてさ、環境で簡単に変わっていくものだよ。あんたも、ずいぶん変わったじゃん。」



大学を卒業してすぐの22歳の時に私は決して大手ではない、あるアパレル企業に就職した。

同じ大学の友人たちが、航空会社や外資系企業、金融機関や商社やマスコミなどへ就職していった中、私は同期に高卒の18歳の子が数人混ざっている企業を選んだ。

あの当時は「ああ、私バカしたな」と何度も思ったものだった。

私は、人気のエリアにある路面店に配属が決まった。
土日ともなれば人がひっきりなしに通るような場所で、いわばブランドの旗艦店とも言える店舗だった。いわゆる花形だ。

店は、4名体制で、仕事は常に忙しく、1日中休憩が取れないようなこともざらにあったが、太陽光がウィンドウから直に入る明るい店内は、いつも活気に満ち溢れ、店員も客も皆キラキラとしていた。

就職先には失敗したが、先輩たちの姿に感化された私は、この場所で頑張ることに決めた。

店長は、30代でその道10年のベテランとはいえかなり早い出世の、やり手の女性だった。
艶のある黒い髪をきっちりとまとめて、背筋がピンと伸びていて、誰よりもキビキビと動く人だった。お客様に信頼されているのか、店長を指名して、買い物をしていく人も多かった。

明るくて、笑い声が大きくて、人に慕われている店長とは、年齢こそ離れていたが、服や聴いている音楽の趣味などが合って、休憩中には時々話すこともあった。
だが仕事中の店長は、打って変わってとても厳しかった。

いや、厳しすぎるぐらいだった。


「あのさ、あんたお客さんのこと舐めてるの?」

「やる気あんの?もっとキビキビ動いてよ。周りから自分がどうみられてるか、常に考えなさい。」

「あんた!ちょっといい加減にしなよ!ちゃんとコーディネートしてあげなきゃダメじゃん!」

いつだったか、胸ぐらを掴まれたこともある。
(人生で後にも先にもこの1度だけだ)


元々、私は店長のように底抜けに明るい方でもなければ、他者とのコミュニケーションが得意な方でもない。どちらかといえば一人で何かに没頭する方が向いているタイプだ。
怒られる毎日の中、「私は接客業に向いていない」と痛感していた。

大学時代などは、ライブハウスやクラブに行ったりして朝まで遊んで過ごした夜が何度もあるような、不真面目な学生だった。暇があれば本を読んだり映画を観たりして過ごし、親の仕送りに甘えて、文字通り自由を謳歌していた。

将来のことをろくに考えずに就職してしまったツケが、回ってきたと思った。


ある時、何を思ったのか、「店長を全部真似てやろうじゃないか」と思った。
ただ見返したい一心だった。

これまでは緩めに結んでいた髪をきっちりとまとめてみることにした。茶色かった髪を黒に染めた。不思議なことに、いつもより背筋が伸びる気がした。私は黒髪の方が似合っていたし、メイクがはえて顔が明るくなった。
それに、背筋が伸びると、いつもよりも動きが機敏になってもいた。

「あれ?あんた今日の髪いいじゃん。接客もいい感じになってきたんじゃない。よっ!売れっ子!」

店長にそう言われると、私は有頂天になった。

その頃、大学の同級生たちの多くは、土日休みで定時帰宅で私よりもずっと良い給料をもらっていた。
一方の私は、週に一度しか休めないような激務で、土日はもちろん仕事をして、恋愛も旅行もできないぐらいに忙しかった。一人暮らしでいつも財布の中身はカツカツで、親からの仕送りをもらってもいた。

相変わらず、「就職先を間違えた」と、何度も思った。

だが、店長に褒められ始めたこの頃の私は、そんなことはどうでも良くなっていた。
とにかく今は接客をして、いずれ売上でトップを取りたいとさえ思っていた。そのためにはどうしたらいいのだろうか、と頭を巡らせていた。

そして私は店長の接客のセリフを完コピすることにした。
会社の中でスピード出世した店長の接客術を真似ればいい。気になるワードは全て隠れてメモにとった。
気がつけば私は、話し方から笑い方から接客ぶりから表情まで何から何まで店長そっくりとなっていた。
「あんた」意外の、口癖もうつっていた。

そして、びっくりするぐらい、売れるようになった。

その年の夏、私は新人の売り上げランキングで1位を獲得して会社から表彰された。

子供の頃から引っ込み思案で、コミュニケーションが好きではなく一人でじっとしているタイプだった私が、だ。

「性格で仕事を諦めるなんて、もったいなさすぎじゃない?性格なんて変わるし、明るい人が接客向きって誰かに言われたの?私だって家では根暗だよ(笑)。」

店長と一度二人で飲みに行った時、そう打ち明けてくれた。

私はこの言葉のおかげで、一位を取ることができたのだ。


私は、一年半の期間を、その会社で働いた。
接客や服の仕事は、とても楽しかったが、それ以上に挑戦してみたいことがあった。私は転職をして、それ以来全く違う業界で働くようになった。

仕事で壁にぶつかる時、私の心に芽生える「私には向いていないかも」「私なんかじゃ無理かも」と思う時、私は店長の言葉を思い出すようにしている。

大学時代、PC操作が苦手でワードやエクセルの課題を友達に丸コピーさせてもらったことがバレて単位を落とした私が、IT系の企業に長く勤めるようになったことも、引っ込み思案で緊張屋だった私が、プレゼンが得意になったのも、全部、あの店長のおかげだ。

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