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春の涙とハーブティ

春の風はやわらかで、甘い香りがしたのに、私の気分は苦かった。

泣いた理由はわかっていた。
それは明らかに私自身の思いつきではじまったことなのだ。


朝、普段はほとんどみることのなくなっFacebookを開いたからだ。

友人の投稿のコメント欄に、思い出したくない人物の顔を見てしまった。

長年の夢、かつて暮らした国に家族で住み暮らしている。若くして会社を立ち上げ成功し外国へ移住した。努力が運と才能を後押し夢を叶えただけだ。だからずっとその人の背中を追いかけていた。自分も同じようなビジネスパーソンの1人になろうとし、得たものもあったが、結果的に色々なものを犠牲にもした。何度も近づいたと思うと次の瞬間にとても遠くにいってしまうような人だったが。


3年という物理的な時間と、夫との穏やかな暮らしがそれを忘れさせてくれていた。

今世の中で起きていることに比較すれば、自分はさほど重大なことに巻き込まれたわけでもないだろう。だが、それらを比較したところで、また何にもならないというのも事実だった。

前日の金曜日は、遅くまで映画を観て過ごしたので、私はいつもより遅い時間に起きて、窓を開けて洗濯機をまわした。

コーヒーを入れるためにお湯を沸かしはじめる。

ほとんどいつも通りの休日の朝だった。

夫は休日出勤で私が知らないうちに仕事に出かけていた。毎朝と同じようにベッドサイドに温かいお茶を置いてくれていた。

それは、いつもの朝の光景だった。

私の友人が結婚記念でプレゼントしてくれたマリメッコのマグカップに入ったハーブティは、すっかり冷めてしまっていたが、カモミールとミントの香りがほんのりと私の朝の気分をすっきりとさせてくれた。 
それに、このぐらいの方が少し気温の高い今日にはちょうどいい。

湯を沸かしている間に窓際で、その葉と花の優しい香りのするハーブティを飲みながらふと先程の件について考えていた。
答えなど、何もなかった。

私は哀しくはなかった。

だってそれは明らかに私の責任なのだ。
他人の誰かが自分の人生を引き受けてくれるわけはないのだし、それは初めからわかっていたのだ。

トーストとコーヒーの簡単な朝食を済ませた後、いつも通りの化粧をして、薄手の黒いワンピースに袖を通した。

それからまた残りのコーヒーを飲みにキッチンへ向かった。冷めきった真っ黒い液体は口の中の苦味を増すだけで全く味わえるものではなくなっていた。

もう一度窓の外を見て、今日は絶好の洗濯日和だと思った。

ふと、この感情はいつまで続くのだろうと思っていた。私はまたどこかで別の自分の情熱を捧げられる何かに出会うことになるのだろう。だがそれが何をもたらすというのだろうか。

今日は車に乗り、いつも通り音楽を聴くためiPhoneでApple Musicのアプリを立ち上げた。
スピーカーに繋がずにAirPodsを耳に装着する。

車の窓を開けると一年ぶりに感じる春のあたたかい風が、私の頬を優しく撫でていた。毎年感じる苦みのある春の緑のにおいがした。

過去は文字通り過ぎ去り、季節は巡り人生は続いていく。
当たり前のことを、毎年この新しい春の季節感じた瞬間に思い出している。私が最初に感じたそれはもう随分昔のことで、大学3年生に上がる時の3月か4月頃だ。
一人暮らしのマンションのベランダでパジャマのままひとりでタバコを吸っていた時のことである。

信号待ちでふとiPhoneをみると、母から父と散歩途中で見つけたという河津桜の写真が送られてきていた。ピンク色がとても綺麗で可愛らしかった。


知らないうちに今夜の夕飯は何がいいだろうかといつもの癖で考えていた。少し前に、夫はルーローハンが食べたいと言っていた。私は昔から豚の塊肉の調理が苦手だが、今日はやってみようか。

「ビジネスとかお金とか成功とか、もうそういうものは自分は違うって分かっているの。でも、あのことを思い出すとまだこうやって涙が出てくるの。内臓から黒い液が絞り出されてそれが口の中まで迫ってくる感覚なんだと思う。私だけ、ずっと取り残されているような気がしてならないんだよ。」

私は休憩中の夫に電話して言う。私たちは結婚して一緒に暮らし始めてからも、なぜか外出中にはよく電話をする。電話の方がどういうわけか、お互いの本音を話しやすい気がするのだ。

「君はもう、その気持ちに”こだわる”しかないんだよ、きっと。こだわり抜いてそれで結果的に何も納得しなくてもたとえ得るものがなくても良いんだと思う。僕はずっとそれで良いって思っているし、いずれにしたって、この先は絶対に良い方向に行くよ。」

夫はいつになく真剣な声色で言っていた。


私は家に帰ると、冷蔵庫で冷やしていた苺と、市販の安っぽいプリンを食べた。冷たくて甘ったるいカスタード味が喉の奥を通るのがわかった。

もう一度イヤフォンを耳につけて、音楽を聴きながら夕飯のために料理をはじめる。

あらかじめ戻しておいた干し椎茸や、玉ねぎや豚肉などを切り、「初心者のための台湾料理」という料理本を見ながらルーローハンを作る。

シナモンの強い香りのする五香粉を取り出すと、3年前の秋に1人で訪れた台湾の街の香りがした。

思いたったらすぐに外国に旅することができたあのころが、今は遠い昔のことのように思える。傷心旅行というには楽しすぎたあの数日間。あれは紛れもなく私が多くの何かを失った結果に得られたものではなかったか。

耳の奥では宇多田ヒカルが「今夜のことは誰にも言わない」「遠回りには色気が無い」と歌っていた。

誰にも言えないような滑稽な夜を過ごしたこともある。いつも遠回りではなく一番の近道で多くの結果を出したいと奮闘したかつての自分を思い浮かべる。

いいや、今だって本当は私は何も変わってはいないのではないだろうか。

玉ねぎのせいか、センチメンタルな春の季節のせいか、不覚にもまた目に涙が溢れた。
この胸の奥にある苦しさはいつになったら消えるのだろうか。きっと消えてなくなる必要はないのだ。これが、今の自分自身だ。

そう思った瞬間、目の前の何もかもが鮮やかで何か息を吹き返したような心地がした。豚肉は真っ黒な海の中で、柔らかに泳いでいた。
パクチーはまだまだ苦手だから、少しだけにしておこう。今夜はせっかくだから特別なワインも空けておこう。




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