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母の言葉

「他人を羨むことなく、自分だけの人生を自信を持って歩んでください」

これは、私が中学を卒業するときに母からもらった手紙に書いてあった言葉だ。

卒業式当日、教室の外に張り出されていたのは、生徒の親からの手紙だった。壁一面に、これから高校生になる我が子へのエールの言葉がずらりと並んでいた。

周りの友人達の親は、もっと希望に満ちたようなニュアンスの言葉が多い中、母の「他人を羨むことなく」という文字が妙に現実的に移り、一際目立っていた記憶がある。15歳で世の中のことを何も知らない当時の私には、「他人を羨む」という概念がよくわからなかったが、今となればこの言葉の意味が痛いほど理解できる。母は、私がなにか人生の岐路に立った時や、ターニングポイントがあると、「あのね、人を羨むという行為が人間の中で1番醜いことだと思うのよ。何かあったら、それだけ覚えておけばいいと思うよ。」と、私によく言った。
大人になるにつれて、その言葉の重みを感じるようになり、気がつけば、私の心の支えにもなっていたように思う。

昔から私は、どちらかといえば破天荒でアンダーグラウンドなカルチャーに傾倒していた父との思い出の方が多かったように思う。映画や演劇、面白い小説の話をしてくれるのは、いつも父だったし、私たちは多分とても似ていたからだ。高校生になっても、父と2人でレストランで食事をすることもあったし、大人になってからもよく2人で映画館に行った。最先端のメカニックが好きで、外国の文化に精通していた父のことがずっと自慢だった。

私の母は、昔でいう「箱入り娘」のお嬢様だったようだ。私は、外交的で直情型でわがままで手荒い父のことを、ずっと「変わった人」だと思っていたが、そのような相手に惚れて、婿養子に迎えた母の方が、随分とぶっ飛んだ人なんだろうなと今は気がつく。

母は、昔から喜怒哀楽をあまり表に見せないタイプだ。冷静で、いつも飄々としている。表情を見せない理由を「小さい頃、笑っているとおばあちゃんに怒られたからなの」と、言っていたが、母が元来そういう性格なのではないかと私は思っている。

結婚してすぐに仕事を辞めて家庭に入った母のことを見て、私は、「母のようにだけはなりたくない」とずっと思っていた。
一緒に暮らしていた亡き祖母は、反対に生涯ずっと働いていた。だから母は、祖父母、父、そして私たち子供の3世代のために、たった1人で家庭の母となった。それを見ていた私は、ずっと母を「誰かの犠牲になった人」だと思っていたのかもしれない。

私が子供だった頃から、いつでも完璧に家事をこなし、つい数年前まで、祖父母の介護をやり遂げた母。私はそれに反比例するように、自分のことだけに邁進し、仕事や自分の趣味のことだけを考えて生きてきた。

だが、年齢を重ねていくごとに、最近は母の生き方を尊敬する気持ちが多くなっている。それどころか、私は母のような生き方や暮らし方を自然と真似るようになっていたことに最近になって気がついた。随分と母に支えられて生きてきたということにも。
母は、「外に出て働く」ということは辞めたけれど、家庭での仕事を通して社会に十分に貢献してきたのだと思う。誰かの犠牲になったわけではなく、母の人生それ自体が母が選んだ最良の人生であるのだ。

何より、母が自分の人生や暮らしに不満を感じているように見えたことが、これまでに一度もない。むしろ日々の些細な出来事や、毎日の暮らしをいつでも楽しんでいるように映る。

きっと、母自身が20年前、私にくれたあの言葉を大切にして生きているからなのだと思う。

3月18日の今日は、地域の公立中学校の卒業式があったようだ。

晴れやかな表情の学生と、こちらまで背筋が伸びるような美しいスーツ姿の母親の姿を見かけて、20年前の母の言葉を、また思い出すことができた。

あの頃の気持ちを、私もずっと忘れないで生きていきたいと思う。



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