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日々と少女映画 | オン・ザ・ロックとバービーと

時々訪れる実家の父親の不用意な発言に苛立ちと悲しさを感じることが増えている事に最近になって気がついた。父の明るく陽気で優しくて面白い側面が今の私には見えなくなってしまい、反対に亭主関白で家父長制の権化的な父にもやもやとすることが増えてそのことに悲しさを感じてもいた。

でも、最近になりその事に少しだけ自分の中で良い方向に折り合いがついてきたようなきがしているので書いておこうと思う。


思えば賢明な両親の献身的な教育のおかげで、子供の頃にははみ出しもので親に苦労をかけてしまった私でも、日本の一般社会に馴染むことは容易だったと思う。

一方で自分の体の芯の部分で違和感や、やりきれなさを感じることは今もなおあるのもまた事実だった。


どうしてかはわからないが大人になるにつれその感覚はより強くなってきていた。

それはきっと私だけではなく多くのだれもがそうなのかもしれない。

就職して社会を知り結婚して別の家庭で育った人と生活してみると「自分にとっての当たり前はそうじゃなかった」と良くも悪くも気がつくものだ。

つい最近までは「どうしたらこの気持ちに折り合いをつけられるのか」「あの人にも歩み寄ってもらわなければ無理かもしれない」など頭の中で堂々巡りをしてもいた。なにか白や黒など結論めいたものがどうしても欲しかったのだと思う。




ソフィアコッポラの近年の映画で『オンザロック』がある。ニューヨークを舞台とした洗練されたコメディドラマで、ラシダジョーンズとビルマーレイが娘父の関係を演じている。私が大好きな作品のひとつだ。
二児の母でもある娘のローラは作家で、父はかつてで言う“プレイボーイ”。社会的地位も高くて女遊びが激しいタイプの昔気質の男性だ。度々会う父のギョッとする発言に娘のローラは呆れ顔だが、それでも誘いにはいつも付き合い多少は楽しむ事もある。

陽気な父は娘たちにも好かれている。

ボーダーにデニムのカジュアルなスタイルにシャネルのチェーンバッグというさりげないトラッドファッションもソフィアらしくて好き。


この作品のなによりも好きなところはかつての父親の時代の価値観を全否定はすることなく、それでも「自分で」選んだ男性や職業や生き方を最後には選択して緩やかに救われていく娘ローラの描き方である。

この父と娘の関係性がまるで自分と父なのだ。

父の昔気質のハラスメントめいた発言や(かつては当たり前の価値観なのだとは思うが)、女性の見方(常に綺麗で男性の添え物的であればいいような)にはガッカリしているのに、だからといって完全に無視もできない。

娘が当たり前に父を愛する気持ちや尊敬する部分を否定するわけでもなく、だからと言ってしっかりと自分の生き方は選択できるのだとこの映画は提示していく。

偉大なる父を持ち、職業的にも父が尊敬に値する存在であることを否定しにくいソフィアコッポラだからこそ描けるテーマでもあるだろうし、これをおしゃれに都会的にみせるのも流石と言わざるを得ない。

ニューヨークを舞台とした都会の人間の群像劇としても楽しめる。ソフィア作品の中でもかなりの傑作だと思うのだが、現在はApple TV+でしか観られないこともありあまり話題に登らないのが寂しい。

機会があればぜひ多くの人、特に私のような人には見てほしいなと思っている。


世の中的に「正しい」とされること、例えばそれは女性はもっと社会で活躍するべきだとか男性も社会で活躍しながらも家庭を顧みて寄り添っていくべきだとかそういう類のことも含めてそのことが可視化されてきたことは間違いなく悪いことではない。

でも、実際はそれが各人にとって相当な重荷になっていないだろうかとも日々同時に感じている。

私自身は完璧さを求め続けてしまった結果に重荷になった挙句、30代半ばに一度仕事を全て辞めてリセットせざるを得ない状況になった事もある。

現在公開中のグレタガーウィグの最新映画『バービー』もまさに現代の私達全員に救いの手を差し伸べると同時に、何かを結論づける事から私たちを離脱させてくれる素晴らしい作品だ。



この映画が現代の男女の役割を批判的に描いた作品だと勘違いされがちなところは本当に残念に思う。

それほどに性別や年齢を問わず、誰もにとって「変わっていかなければならない」という時代から求められるプレッシャーに寄り添い自分がどう生きていったらいいのかゆっくりと考えていくきっかけを与えてくれるのだ。

この作品を観ていて思うのはやはり自分の生き方を問うと同時に、自分の母や祖母の生き方や父や祖父の世代の生き方もまたきちんと示唆する事に救いがあるのだと感じている。

振り返れば私の祖母は、結婚式当日まで顔を見たことすらなかった祖父と結婚し、若い頃は苦労をしたと言っていた。だが、70代を過ぎてからヨーロッパや北アフリカなどに海外旅行を楽しむ人生を後年は送った。80代まで地域の頼まれ仕事をし続けてもいた。
母は、結婚して仕事を辞め家庭に入り専業主婦にとなる。育児だけでなく、50代では祖父母の介護もやり遂げた。
その祖母や母の姿に悲壮感や惨めさを感じたことは一度たりともない。
それと同時に責任感の強い父が亭主関白であらざるを得なかったのは、名家の母の家に婿養子に入り家や家族を守ることにただ必死だったからなのだとも思うのだ。


グレタガーウィグは過去作品でも母と娘の関係性を本当に素晴らしく描いてきた天才監督だと思う。私の少女時代も、複雑だった思春期もまだ大人になり切れてるとは言い難い今の自分にも「これは私のための物語だ」と思える。何度も書くが、本当に素晴らしい映画作家だ。


今作では女性の目線にとどまらず、男性側の思いがけない視点にも立ちその複雑性をきちんと的確に丁寧に描写し切った所が素晴らしかった。
あらゆる人にとって大切な一作になっている事であろう。


不思議な事だが、こうしていろんな事に葛藤し悩むことさえも、生きて産まれてきたからこそ感じられる素晴らしい事なのではないかと何故だか上記の2作品を観て感じている。

そう思うと不思議と悩んでいた事に結論など出さなくていいと思えるし、むしろ性差間でどうしても感じる違和感や、世代間のギャップを体感してどうしたらいいのか思考したり、自分の人生について悩んだりする事そのものをこれらの作品は肯定してくれているのではないか。それこそに自分が励まされる。


この気持ちを間もなく産まれてくる予定の自分の子供にも感じてもらえたらどんなにいいだろうか、と今は漠然と感じていもいる。

必要以上に苦しむ必要はもちろんないが、何かで胸を痛めたり涙する事もまた大切な私たちの感情の一部でなによりも愛おしいことだ。

どんな事があろうとも、命よりも美しいものはないのだ、というグレタガーウィグからのストレートなメッセージに私自身が救われる思いでいる。


昔気質の父もこれまで十二分に背負ってきた重荷を下ろしてほしい。人生をまた父なりの方法でさらに楽しんでくれたらいいなと祈るような気持ちでいっぱいだ。


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