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姪からの手紙

少し前に、私の兄の娘、つまり私の姪(7歳)から手紙が届いた。
それ以来、2人は文通を続けている。

2人というのは、姪と、私の夫のことだ。

昨日も夫は、鬼滅の刃のキャラクターの絵を模写し、それを私の姪宛の手紙に添えて、ポストに投函していた。

私たち夫婦には、今のところ子供がいない。
これから先どうするかは特に決めていないが、自分に子供がいない人生になる確率も、年齢的には濃厚になってきている。その理由には、単純に結婚が遅かったこともあるが、私自身「子供が欲しい」と思ったことが、これまでの人生では一度もなかったからだ。なぜそうなのかと聞かれたら、それはよくわからない。ただ、このことで頭を悩ませたことは、これまでに数え切れないほどあったと思う。

昔は、そもそも子供が苦手だった。
彼らは何を考えているか、さっぱり分からないし、親戚中で1番の末っ子として大きくなってしまった私には、幼い子供との接し方を物心つくまで学ぶ機会がなかったからだとも思う。それに、私自身が精神的にも、家族の中での役割的にも、もはや子供みたいな存在だ。であるからには、もう1人、ましてや自分の子供など考えられない、というわけだったのだと思う。

私の人生で初めて価値観がひっくり返されたのは、きっと7年前に姪が産まれた時ではないだろうか。

兄から、生まれた直後の姪の写真が送られてきた瞬間に、不意打的に胸がいっぱいになり、思わず涙が溢れ出てきたことを、今でもよく覚えている。同時に、「自分にもこういう感情があったのだ」と気がつき、とても嬉しかった。

まだ名前もないまま、無防備にこの世に生まれてきたその赤ん坊に、私は言葉には表現し難い尊さと、神秘のようなものを感じた。そこに、私の祖父母や両親、会ったこともない祖先の面影をみたのかもしれない。私の祖父母はもうすでに亡くなってしまったが、こうしてまた新たな生命を通して彼らに少しだけ再会できたような気持ちにさえなった。

それからの私は、遠くに住む叔母という立場にしては、随分とたくさんの時間を彼女と過ごしてきた。待受画面に人の顔を設定したことなど人生で一度もなかったのに、そこはもう姪の最新写真にとって変わった。海外に旅行に行けば、必ず本屋の絵本コーナーに赴いている自分もいたし、アメリカに行った時には、ぬいぐるみを買いに行くためだけに、一人で動物園に入ったこともある。

ずっと末っ子で、子供だった私を、少しだけ大人にしてくれたのは、きっと姪なのだと思う。

姪と、私の夫は、初対面から妙に気があったようだ。

今から3年ぐらい前だろうか。
その頃の私は、出張が多い上に夜中まで残業するほど仕事が忙しく(その生活が心底気に入っていた)、プライベートでは趣味のひとり旅や喫茶店めぐりなどに精を出していたせいか、「結婚」などということを考えたことが、ほぼなかった。

ある年の正月、実家に彼(今の夫)を連れていった際、私が気を抜いていた矢先に、まだ4歳だった姪が彼の膝の上にどーんと座っているではないか。彼女は人見知りが強く、初対面のしかも男性に対してこのような態度を取れたことは一度もなかったらしい。

兄、そしてその娘である姪に見初められてしまったのであれば、(私は昔からブラザーコンプレックスが強いのだと思う)もう、私にはこの彼しかいないかもしれないと、その時妙な確信をしたことを覚えている。

これまで、あれこれと理由をつけてはパートナーシップの類に自分流を貫いては、周りをヤキモキさせてきた自分が、まさかこのような形で結婚を意識するようになるとは思わなかった。

人生の重要な決断こそ、きっとこんなものなのかもしれない。

私は、厳しくて固い家柄に育った娘のわりには、昔から自分のことばかり優先してきた方だったと思う。親の反対を押し切って何かを選んだことも何度もある。でも、時には誰かのためにしてみた選択の方が、自分にとって正しいことだってあるのかもしれない。この時を境に、そう思うようにもなっていた。



最近の姪は、書ける漢字が増えてきたり、「かぎかっこ」を使えるようになってきたりと、彼女の成長を遠くに住んでいても、手紙を通して手にとるように感じている。

昨年の夏休みに、夫が私の実家の敷地に公園と同じような鉄筋のブランコを作ってくれた。夫は設計士だからこういうことがとても得意なのだ。私の知らない間に、姪と、ブランコを作る約束をしていたらしい。

遠くに住む彼女は、このご時世ということもあり、まだ一度しかそのブランコには乗れていないが、ずっとこの時のことを楽しかった思い出として覚えてくれている。

夫宛の姪の手紙には、こう書いてあった。

「あさからばんまでがんばってぶらんこを作ってくれてありがとう。わたしとのやくそくをまもってくれてありがとう。」

どんな約束も、ちゃんと守らなければないけないし、朝から晩まで、毎日頑張っておしごとをするのは素晴らしいことだと彼女に気づかせてもらった。

最後には、

「じぶんから手をあげて、がきゅうかいの、しかいをやったんだ」

という素晴らしい言葉でしめくくられていた。

私も、やりたいと思ったことには、臆せずに何でも挑戦したい。

自分の子供がいなくたって、こうして、子供から教わることは、本当にたくさんある。

これらの手紙は、一生大切にとっておきたいと思う。

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