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武蔵小山の鶏めしの思い出

2018年9月。3連休だったと思う。まだ私たちが結婚する前、夫と2人で2泊3日、東京に行くことになった。
彼は、数年前まで東京の目黒のあたりに暮らしていて、この日はその時の元同僚の結婚式があるとのことで、私も便乗したのだ。

東京1日目、彼が結婚式に参加していたので、私は街を一人でぶらぶらして過ごした。友人が働いている中目黒のショップで冬物のニットを買ったり、そこから代官山まで歩いて、駅からすこし離れた場所にあるアットホームな食堂で魚の定食を食べ、蔦屋書店のスターバックスで豆乳ラテを飲んで数冊の雑誌を読んだりして過ごした。
夜になって、結婚式が終わるころ、彼と合流するために泊まっているホテルCLASKAでしばらく休んて待つことにした。途中で、大好きな洋菓子屋さん「マッターホーン」でクッキーをいくつか買っていたので、部屋でお茶をいれてそれを食べた。歩き疲れた体にしみわたるおいしさだった。

夜ご飯は、簡単なつまみとビールを飲もうということで、彼が良く通っていた近くの居酒屋へ行った。彼も、今日一日は久しぶりの同僚や上司と会えてとても楽しんで気分が良いようだったし、私も久しぶりの東京を気ままに過ごし、とてもいい一日だったことを噛み締めていた。
2人そろっていい気分でほろ酔いになり、そろそろホテルに戻ろうか、というところで、彼の携帯が鳴った。

「もしもし?うん、わかった、彼女にも確認するけど多分大丈夫だと思う。場所?うんわかるよ。じゃあ、またあとで。」

「誰?どうしたの?」と私が聞くと、彼はこう続けた。

「今、みんな目黒で飲んでいるんだって。一緒に飲まないかって。一緒にいこうよ。せっかくだし。」

その瞬間、私は凍り付いた。
今日という素晴らしい一日の終わりにまさか、こんな爆弾があっただなんて。

私はもともと、「彼氏の友人」という立場の人に会うのがとても苦手だった。昔、当時の恋人の友人たちには、なぜだか自分が「見定められている」ような気がして居心地が悪かったこともあったし、私の振る舞いが良くなかったらしく(地雷を踏むような発言をしたらしい)、恋人を不機嫌にしてしまったこともあったからだ。その後も同様のチャンスがあり「今度こそは」と意気込んだが、一言も言葉が出てこなくてその場の空気を凍り付かせたりもした。どうしてか、うまく振舞えないのだ。彼の立場を尊重し、かつ相手にも失礼のないよう、そして良い彼女、と思われなければ。だから何年もそういう状況をできるだけ避けてきた。

当然のことながら、彼は私が「彼氏の友人に会うのが苦手」だということを知らない。こういう機会は初めてだったからだ。それに、当時は出張で全国を飛び回り様々な人に会う仕事をしていた私だ。人見知りであることさえピンときていなかったんじゃないだろうか。ただ彼は純粋な目で、「せっかくだし。全然平気だよ!」と隣で笑顔で言っている。

私は重い腰を上げ、心の中でこぶしを握り、行く決意をした。
ホテルから目黒駅まではバスで行くつもりだったのだが、事故でバスが迂回ルートを走行していたため、私たち二人は酔い覚ましもかねて、徒歩で友人の待っているお店へ向かった。「よかった・・少しは時間稼ぎができる。」歩いている途中、私は何を話すか頭の中でシミュレーションしたり、最初の「こんばんわ!」の顔つきを作ってみたりした。隣にいた上機嫌の彼に、私が緊張していることが伝わったのか、「そんなに身構えなくても大丈夫だって(笑) 面倒になればいつだって帰ればいいんだし。そんなこと気にする連中じゃないから」と声をかけてくれた。

そうこうしているうちに、お店についてしまった。
「お待たせ!」彼が軽快に言うと、そこには10人以上の元同僚たちがいる。全員が彼の声に気が付いて振り返った。

「おおー彼女さん!はじめまして!よく来てくださいました!」

私、「はじめまして!こんばんわ~!(渾身の営業スマイル)」

それから2時間後。
私の営業スマイルは消え去り、私は、腹の底から爆笑していた。
彼らと完全に打ち解けていたのだ。

気が付いたら、彼よりも私のほうが同僚たちと話が弾んでいたぐらいだった。元同僚たちは、私のことを見定めたりしなかったし、隣に座っている彼も、私がどんな振る舞いをしていようが、どんな顔をしていようが、一切気にしていないようだった。彼自身は、ただもくもくとハイボールを飲んで、みんなの話を笑いながら、楽しそうに聞いていた。元同僚のみんなは、彼が一緒に働いていた当時、彼がどんなに素敵なプレゼンテーションをしたのか、ということや、どれだけ彼が設計という仕事が好きか(夫は設計士なのだ)ということを教えてくれた。帰りに、念のため彼に「私の態度大丈夫だった?」と聞いてみたが、彼のほうは「何が?」といったかんじでまるで気にしていない。私は心底、安堵した。

次の日は前日の疲れもあり、昼頃に起きて、ホテルでランチを食べて、私たちは夕方までのんびりと近くのカフェで過ごした。

夕方、隣駅の武蔵小山へ行ってみることにした。ホテルで自転車を借りることができたので、二人で自転車に乗った。彼はこのあたりに住んでいた頃、よく自転車で走っていたらしく、普通の人が知らなそうな裏道をすいすいとこいでいった。私はその背中を追った。9月とはいえ、まだまだ日中は暑くて二人とも半袖を着ていたが、夕方の風は少し涼しくてとても心地よかった。

武蔵小山の商店街で、気になる焼き鳥屋さんがあり、私たちはそこですこし休むことにした。瓶ビールを開けて、つくねとねぎまを2本ずつ、それからカウンターに置いてあった鶏めしのおにぎりを2つ、もらった。

「ああ、おいしい。幸せだわ」

「この鶏めし、本当においしいね。」

「うん、結婚したら毎日こんな感じなのかな。いいなあ!俺結婚したいな。」

「え?」

私はその言葉に驚いて、思わず彼のほうを見上げた。

彼は笑ってビールを一気に喉に流し込んでいた。それから私も彼も黙々と目の前の鶏めしのおにぎりと焼き鳥とビールに集中した。
私は嬉しくて顔がにやけてしまい、何度も「え?さっきなんて言ったんだっけ?」と、冗談まじりに聞いてみたが、彼は「覚えていない」と言ってきかず、全然答えてくれなかった。でも、彼も顔だけはずいぶんにやけていたような気がする。

それから1年ぐらい経った2019年の夏に、私たちは結婚した。
あとになって思えば、元同僚たちは私が過ごしやすいように最大限に気遣ってくれていたのだろうし、彼の方もきっと同様に私をひそかに支えてくれていたのだということがわかる。いずれにしたって、私は優しい人たちに囲まれている。

だから私は、あの時食べた、鶏めしおにぎりの味を、一生忘れないと思う。

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