渋谷とわたし
上京したての18歳ぐらいの頃、私は渋谷から原宿のあたりをよく歩いた。
好きか嫌いか、と言われたら何とも言えないのだが、間違いなく多くの時間を過ごした街である。
私の渋谷での最初の思い出は、18歳の夏に、仲のいい男友達と「恋愛寫眞」という日本映画を見に行った時のことだ。
私は、たしか、ノースリーブのワンピースにコンバースのオールスターを履き、アンダーカバーのコットンのトートバッグを肩から下げていた。
あの頃の渋谷はいまよりも空が灰色をしていて、道端にはたくさん煙草の吸い殻が落ちていた。街は、鼻につく独特のにおいがして、駅に降り立つと私はいつも嫌な気分にさせられていた気がする。
今よりもずっと雑多でごちゃごちゃとして、来るたびに、「汚いなあ」と思った。
でも、「こういうところから文化が生まれるのだな」ということを、私は漠然と感じて引きずり込まれるように、たびたび渋谷に降り立つようになった。そういう風に、魅了される場所でもあったのだ。
2003年、まだ渋谷に映画館がたくさんあった時代で、東横線の渋谷駅が地下に潜らなかった時代のことである。
映画を観た私たちは、ファーストキッチンでハンバーガーと味のついたポテトを食べて、センター街にある渋谷のHMVに行き、曽我部恵一の新作のアルバムを聴いた。(私は当時、タワーレコードよりもHMV派だった。)
東急ハンズであてもなく文房具をながめて、スターバックスに寄ってコーヒーを飲み、夕方になると私たちは、それぞれの家に帰った。
渋谷で時間を過ごすのは、なぜかどっと疲れることだった。
そういえば、この友人が、今、どこで何をしているのか、わたしは全く知らない。
私が大学生だった当時、ひとりで渋谷に来るときには、だいたいお決まりのコースがあり、よく歩き回った。
最初は駅前のTSUTAYAに行き、映画や音楽をチェックした。あそこは当時、どこよりもたくさんの映画が揃っていると思っていたから、本当に良く通った。まだVHSも半分ぐらい残っていたような気がする。監督や脚本家別に陳列されていたおかげで、私はそのころから国内外の素晴らしい映画製作者の名を知ることになった。「マイナーだけど、実は名作」と言われるような作品にこの渋谷TSUTAYAで何度も出会った。
渋谷パルコへも、よく行ったと思う。
地下にあった本屋、パルコブックセンターがとても好きで、よさげな海外雑誌やアート系の書籍などをよく読んだり、買ったりした。
センスのいい、良質な書籍に出会いたければ、あそこに行けばいいと思っていたし、それはたぶん事実だった。
パルコは、たしかPart1からPart3まであって、大学生の私が買えるのはPart3のお店ぐらいだったが、Part1には憧れのブランドがたくさん揃っていたので、私はよく洋服を見に行き、いずれは絶対にここで買おうと思うようになった。
当時は今のようなファストファッションがほとんどなく、たくさんの服は買えなかったが、間違いなく洋服の一着一着を本当に大切に着ていた記憶がある。
パルコの目の前にある「シネマライズ」は、当時最も通った映画館かもしれない。あそこで、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」や、「ドッグ・ヴィル」、「木更津キャッツアイ」などを観た。ひとりでも、友達とも、恋人ともよくいった。内装も外装も黒一色で、スタッフの制服までスタイリッシュでかっこよくて、ほかのどの映画館とも違っているようにうつった。
私が渋谷の中でも特に好きだった場所は、原宿に向かう途中の、明治通りからすこし奥まった場所にある、アパレルの路面店が点在する界隈である。
ビームス、アローズ、アメリカンラグシーや、ジャーナルスタンダードなどのセレクトショップが幾つかあって、時々そこで買い物をした。
このあたりの雰囲気が、私は当時、とても好きだった。
近くに小さな公園があり、私よりもすこし大人っぽい雰囲気の若者たちが、買い物の休憩をしていたり、コーヒーを飲んだり、タバコを吸ったりとかしていた場所である。
スケーターっぽい人やアメカジっぽい人、モード系の人、いろいろなタイプのおしゃれな人が、あの通りを歩いていた。
私はいつも、彼ら、彼女らの、どこか、力の抜けたファッションや髪型などをよくチェックしては、私もどうしたらこうなれるだろうか、と思ったものだった。
あの辺は渋谷駅周辺のギャル文化でも当然ないし、パルコや原宿のようなポップな感じでもなく、どこか気怠いような空気があったように思う。当時の自分のテンションに、ぴったりの場所だった。
そういえば私は、人間観察、というものを、いつからしなくなったのだろうか。
スマホもなかったあの頃、1人でカフェをにいるときや、誰かと待ち合わせをしている時、だいたい通りを行きかう人間を眺めて空いた時間を過ごしたように思う。
街にいる様々な人の顔やファッションをみては、わたしもああゆう風になりたい、と思ったり、東京には本当にいろいろな人がいるなあと、感心したりした。
20歳を超えてくると、代官山近辺のAIRというクラブに行き、同じビルの1Fにあるカフェでハウスミュージックを聴きながらお酒を飲むようになった。
そのアンビエントで都会的な雰囲気が、自分をお洒落に見せてくれてるような気がして、ずいぶん悦に浸った場所だったと思う。
大学を卒業し、会社に勤めるようになると、自然と渋谷からは足が遠のくようになる。
銀座や丸の内、あるいは中目黒や自由が丘などの街の雰囲気のほうが、なんとなく自分にしっくりくるようになったからだ。
むしろ渋谷駅にはできる限り来たくないとさえ思うようになっていた。
あれだけ遊んだ場所だったのに、なんとも不思議である。
でも、きっと多くの人にとって、渋谷という街はそういう存在なのだと思う。
渋谷はこの15年で新しいビルがたくさん立ち並び、良く行った渋谷パルコも一新した。
シネマライズも、代官山AIRもなくなってしまったが、時代に合わせて形を変えながら、今もあの土地にいる面白い人たちが渋谷カルチャーを発信しつづけている。
きっと私の記憶の中の渋谷は、これからもずっと、2000年代はじめの、あの灰色で気怠くて淡い思い出がつまった街のままだろうと思う。
私があの時代に夢中になった、音楽や映画やファッションなどを今も大切に思えるのは、間違いなくあの街のおかげだ。
こう書いてみたら、なんだか久しぶりにあの通りを歩いてみたくなった。
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