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「ケ」の写真を撮る人になりたい

「ハレ」と「ケ」という言葉がある。

ハレは、儀式や祭、年中行事などの非日常、ケは普段の生活、日常を表す言葉だ。

この言葉に則って言えば、わたしは「ケ」の写真が撮りたいらしい。
そう気づけたのは、ある友人の一言がきっかけだった。

◆◆◆



ここ半年ほど、友人と会うときにはカメラを持ち歩くようにしている。

先日も、友人に誘われ、朝から築地へ行ってきた。もちろんカメラを持って。


で、パシャパシャ撮ってきたわけ。


半日ほど周辺の街をうろつき、帰宅。撮った写真をLINEのアルバムにアップした。


すると、「ポポン」と友人からのメッセージ。


「写真の切り取り方に特徴出てるよね〜」
「食べ終わったあとを撮るあたり、fumiっぽいよ」

「ちょっと古い商店街も」


えっ…そうなの……?

言われてみると、思い当たる節があった。


以前、同じ友人にこんな写真を納めた。

新生児〜数ヶ月の赤ちゃん用の哺乳瓶

「小さいサイズの哺乳瓶、数ヶ月経ったら使わなくなっちゃうよなあ」と思って、撮影したもの。

飾った写真でもないし、決して映えてはいない。
でも、その子からは「この発想はなかった……!普段絶対撮らないよ」と言われた。確かに。

いやはや、自分らしさが写真の切り取り方に出ているとは、まったく気づかなかったよ。


◆◆◆


そういえば、先日読んでいた「あの人が自分らしい写真を撮れる理由」にこんな一文があった。

「写真を見る人は、全員が写真のことばかりを考えている人や、写真を撮っている人ということはあり得ません。写真を取らない人や、年齢、男女でも感性が違うので、いろいろな人に見てもらうのがいいと思っています。
それで、全員が納得いくような写真が撮れたら最高じゃないですか?」

「あの人が自分らしい写真を撮れる理由」より

アウトプットをどんどんして、カメラをやっている人以外にも感想を聞いて、うまくなろうという話。


友人のコメントを聞いたとき、この話がスッと頭の引き出しから出てきて、「ああ!こういうことだったのか!」と繋がった。

アウトプットすると、自分が気づかない感性やらしさを見つけてもらえるんだ……!

とすると。時にはポートレートも撮るし、記念日の撮影に携わっていた時期もあるけれど、わたしらしい写真って「日常」を切り取る写真なのかも。

◆◆◆


現代では、スマホの普及やインスタグラムの映えブームの影響か、カメラが「高尚な道具」になってしまった気がする。

でも、わたしが生まれた平成初期、カメラはもっと身近だったはず。

そんなに裕福でないわたしの実家でも、コンパクトなやつだけど、フィルムカメラを一台持っていた。記念写真ではなく、毎日の垢抜けない日常をたくさん撮影した。

その記憶が残っているので、コントラストの強い写真より、フワッと空気感に包まれるような、日常の一コマを切り取りたくなってしまう。

映えてる写真をインスタで眺めるたびに、憧れる一方で、映えたコントラストの強い写真を撮りたいのかと言われると、なんか違うような……?


今までいまいち言語化できてなかった感覚だったものが、友人の一言をきっかけにふっと言葉として舞い降りてきた。

そうか、わたしは「ケ」の写真を撮る人になりたいんだ!

じゃあもっと、日常を躊躇わずに切り取ってみよう。そして自分らしさを伸ばしてみよう。

実は少し迷走していたわたしに、一筋の道が拓けた気がした。

アウトプットをしたら、自分らしさを見つけてもらえるなんて。思わぬラッキーであった。
これからも躊躇わずに、どんどん外へ発信していくこと。大事にしたいね


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