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便利すぎても、不便すぎても
初めてのボーナスで買ったスマホを7年も使っていました。思い切って機種変更をすることにしました。今日で、こいつともおさらばです。さみしい。
ずっとカバーはかけていたから、何回も落としたわりには見た目はきれいで変わらず。
ただ電池のパフォーマンスが出荷時の60%になり、限界を迎えていました。
「電池がもったいないから」とBluetoothのイヤホンも、Googleマップもなるべく使わないようになり。
そんな状態にもかかわらず、慣れてしまったことにより機種変更のタイミングがわからなくなっていたのです。
不便をスルーしていた。慣れは恐ろしい……。
小さな違和感はいつしか大きな違和感になる
今年の目標のひとつに「小さな違和感を見逃さない」を掲げていた私。
▼年始に書いたnote。
小さな違和感は積もり積もっていくと、大きな違和感となって自分の足をひっぱります。
今回のことはまさにそうで、本来ならば使える機能を有効活用できなくなっていました。
電池の減りが早くなり、電車に乗りながらのnote執筆もほぼしていませんでした。新しいアプリも使えなくなってきていたし。
充電器を持ち歩かなければいけなくなって、荷物も増えていました(防災面を考えると、これからも持ち歩き続けると思いますが)。
これでは、宝の持ち腐れです。
それでも、手続きの面倒さ、端末価格の高騰、新しいことを覚える億劫な気持ち等々、一瞬で済むことを天秤にかけて、不便を見逃し続けてきました。
便利と不便のバランス
とはいえ、電車内での読書が捗ったり、日常でスマホを触る時間が減ったりとマイナス面ばかりではなかったのです。
「便利なことはいいこと」で「不便なことは悪いこと」と捉えがちですが、それは違うと思っています。
世の中にどんどん便利なものが溢れてきて、自分でできていたことができなくなっていく、楽しみを奪われていく怖さもあります。日々を便利さに飲み込まれていくようで怖い。
音楽サブスクで音楽をシャッフル再生していると、思いがけない曲との出会いがあるかわりに、自ら気になる曲やアーティストを探しに行かなくなる。
よく言われてるところだと、手書きの機会が減り漢字が書けなくなってる、など。
それゆえ、便利だとわかっていてもスマートスピーカーや便利家電を取り入れるのに抵抗があります。家が狭くて必要性を感じないのも、取り入れない大きな理由ですが……。
友人の家に遊びにいくと、家電の便利さにも、使いこなしている友人にもいつも驚きます。でも、今はこういうお宅の方が多いのかな?
時代の波に追いついてないことに焦ることもあります。便利なものをどんどん取り入れた方が便利かな…とぐらつくときもある。
けれど、そのたびに「私は日々を便利さに飲み込まれるのが嫌だと思っているんだから、その思いを尊重しよう。しっかり軸として持っていよう」と思うのです。
なんでも便利だから取り入れるのではなくて、自分の苦手分野や物理的にできないことをカバーしてもらうくらいで付き合っていきたい。
機会損失や情報格差で、損をしない範囲でね。
「便利と不便のバランス感覚」をもっと身につけたいところです。
ぜひサポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、カメラレンズの購入に充てようと思います☺︎