見出し画像

いじめられグレーだった私の小学生時代のはなし② | 繊細さんの人生の肥やし

地震で起きて二度寝したら寝坊しました。
どうも、私です。

入学早々しくじってしまった私は、その後どうなってしまうのか?
「かわいそう…」と思わずに、軽い気持ちでご覧ください

▼前回までのお話はこちら

0.5人になった私

クラスメイトにしゃべらない人というレッテルを貼られ、
必要な時以外はしゃべらない小学校生活が始まった。

自分の意見を発することがないので、
当然下に見られ、半人前扱いされる。
グループ分けでも、係決めでも、誰も私を必要としない。
毎回、余りものとなった。

ただし、勉強もスポーツもわりと出来る方だったので、
お荷物扱いをされることはなく、まだマシだったかもしれない。
結局のところ「いてもいなくても変わらない人」ということ。

私と同じようにあまり友達がいない子が声をかけてくれたり、
0.5人としての私を自分が優位に立つためのアイテムとする子や、
かわいそうだから仲間に入れてあげる、という子など、
本物の友達はいなかったかもしれないけど、それなりに過ごしていた。

カツアゲ未遂で芯の強さを発揮

3年生くらいの時、放課後に友達と遊んでいたら、
リーダー格の女子が私に言った。

その500円玉と、私の100円交換して!

恐喝である。
母がお小遣いに渡してくれた500円、絶対に渡すわけにはいかない。

おとなしい私がすんなり500円を渡すと思ったのだろうが、
なかなか渡さない態度にイラつき色々文句を言ってきた。
しかし、私は言い返すこともなく黙ってその場をやり過ごした。

人見知りでおとなしい性格だが、悪には絶対に屈しない辛抱強さだけはもっていた。
カツアゲ女は私の手から500円玉をむしり取ろうとするが、
目に涙をためながら絶対に渡すまいとギュッと握りしめた。

そのまま解散すればいいのに、断り切れず私の家で遊ぶことになり、
母が出してくれたおやつを食べた。
正直、コイツらにおやつなんて出す価値もねえ!
と思っていたが、相変わらず黙っていた。

私の様子がおかしいと感じた母が、何かあったのか聞いてきた。
涙ぐみながらコソコソと事実を話すと、
「そんなこと言われたの!いやだねぇ〜😣」と明るめの口調で答えた。

忍耐強さと楽観主義のマッチング

そしていじわる女を怒るわけでも学校に相談するでもなく、
カツアゲ未遂は誰に知れるでもなくその場で終わった。
今となっては、きっとそれが正解だったんだろうと思う。

母のことだから深い考えはなかったと思うが、繊細な私にはぴったりの楽観的な親でよかった。
ことを荒立てなかったおかげで、私はその後も平穏に学校生活を送ることができたのである。
そしてそれ以来、お金をよこせとは一度も言われたことはない。

私は勝利したのだ。

▼つづきはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?