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自己紹介|これまでソーシャルワーク実践者として取り組んできたこと

最近、自己紹介することが難しくなってきた、と感じる。ひとことで言えばソーシャルワーカーなんだけど。
「今やっていること」はどんな文脈でそうなってきたのか、を説明しないとよくわからないかもしれないし。
実際、「この人なんだろう?」と訝しげな感じで見られることもある。

noteを始めたことはいいきっかけなので、これまでやってきたことを簡単に(自己紹介がてら)まとめてみます。

2005年〜

日本福祉大学を卒業後、高齢者施設や地域包括支援センターなどで勤務。

2013年〜(あゆみの会の立ち上げ)

名古屋市社会福祉協議会に入職。
名古屋市認知症相談支援センターに若年性認知症相談支援担当(若年性認知症支援コーディネーター)として配属され、同年、名古屋市若年性認知症本人・家族交流会「あゆみの会」を立ち上げ。
あゆみの会の取り組みは日本認知症ケア学会大会で石崎賞(2016、2019)、実践ケア賞(2018)を受賞。

2018年新潟、あゆみの会メンバーといっしょに表彰式に出席することができた。
いっしょに呑んだ祝いのお酒が最高だった。

2015年〜(当事者発信)

当事者発信(講演等)のコーディネート、インタビュアー(聴き手)を始める。これまで壇上で対話した当事者は30名を超える。

たぶん、初めていっしょに講演をした当事者は稲垣豊さん(真ん中)だと思う。

なかでも、名古屋市西区在住の山田真由美さんとは20超の都府県をともに旅し、100回以上の講演をおこなってきた。

2019年長野にて。山田さんとの旅はいろんな気づきの宝庫
苦労もあるけど、その分、旅先でのこんな笑顔に出会える楽しい旅。

2017年〜(ピアサポート活動の展開)

2016年末に、山田真由美さんといっしょに仙台市で始まっていたピアサポート活動「おれんじドア」を視察。
2017年に山田真由美さんとともに名古屋市西区でピアサポートおれんじドアも〜やっこなごやを立ち上げ。
講演会などとあわせてピアサポートを実施する「出張おれんじドア」を20以上の市町でコーディネートし、本人交流会や本人ミーティングの立ち上げをサポート。

2020年岐阜県にて。本人ミーティング後の写真。
山田さんの活動は「希望のリレー」として確実につながっている。

2020年〜(地域包括支援センター)

認知症相談支援センターを離れ、名古屋市北区の地域包括支援センターに異動。北区認知症フレンドリーコミュニティ事業を立ち上げ。同事業は2021年、日本認知症ケア学会の実践ケア賞を受賞。
2021年からは北区在住の内田豊蔵さん愛知県認知症希望大使)との活動を開始。講演等のほか出張本人ミーティングを愛知県内の市町で展開。

内田豊蔵さん(真ん中)と初めて会ったのは、2020年8月。
北区で初めて開催された本人ミーティングで。

2020年〜(borderless -with dementia-)

認知症当事者の経験を起点に多様な活動を展開するプラットフォームとしてborderless -with dementia-を立ち上げ。
コロナ禍での繋がりづくりとしてオンラインのつどいの場であるborderless bar(毎週水曜20時open)のマスターをつとめつつ、講演、執筆、SNSでの発信、書籍の監修、自治体の認知症関連事業のデザイン、コーディネートなどを行なっている。
NHK厚生文化事業団「認知症とともに生きるまち大賞」ニューウェーブ賞を受賞。

2021年(二冊の書籍とborderless hikerz)

2021年は「認知症とともにあたりまえに生きていく」(中央法規)と「認知症世界の歩き方」(ライツ社)という二冊の本にかかわることができた。
あたりまえに〜は、9人の実践者のひとりとして、これまでの実践を振り返る内容。歩き方は監修という形でかかわらせてもらった。
どちらも本当に思い出深い本。
そして、2021年の夏からは、多様な人がただともに歩く、borderless hikerzを始め、(ほぼ)毎月実施中。

2021年10月伊吹山山頂にて。

まとめ

こうしてあらためて振り返ると、2013年に若年性認知症の人たちと出会ったことが自分にとってはとても大きな出来事だった。

当時の自分は30代前半で、専門職としての経験も増えてきて、なんとなく自信を持っていたと思う。でも、その自信は若年性認知症の人や家族が直面する課題の大きさ、複雑さの前にあっけなく吹っ飛んだ。

なにもできない自分を尻目に、あゆみの会で当事者同士が出会っていくと、笑顔が生まれ、苦しい中でも生きていくしなやかさを獲得していく人たちを見てきた。

専門職の限界と、当事者の力。

それを知ったことで、自分にできることは場づくりと発信、そしてとにかく人を信じることだということに気がついた。

それからは、当事者といっしょに悩みながら楽しみながら、いっしょに旅をして舞台に立ち、その語りを発信をしてきた。

自分を駆り立ててくれたのはいつも当事者だったし、そんなふうにともに活動を展開してこれたことは本当にしあわせなことだったと思う。

すこしずつでも、よりよい社会をめざして。


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