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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2018年1月の記事一覧

毎日の習慣と句読点。

毎日の習慣と句読点。

ほぼ日5年手帳を書きはじめて1か月が過ぎた。

もうずいぶん習慣になっていて、ぼくの場合は出社してすぐの朝の時間に、前日の出来事やそこで思ったことを書くようにしている。たとえば今朝書いたのは、昨夜出席した「ほぼ日の学校」の話だ。なんのストレスもなく、おそらく5分もかからず、さらさらと書く。

こういう話を書くと、いけすかないライフハック野郎みたいになりそうで嫌なんだけれど、けっきょく習慣とは「一日

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計画のことば、構想のことば。

計画のことば、構想のことば。

誰かの語る、「プラン」を聞くのが好きだ。

ここでのプランとは、「計画」ではない。「構想」の話だ。おおきくて、漠として、本人さえもうまく言語化できていなくて、しゃべりながらどこかで「おかしいなぁ、もっとおもしろい話のはずなんだけどなぁ」と自分におどろき、焦っているような、そんな段階にある構想の話だ。聞きながら、もっともっとしゃべろ、と思う。他人にそれをしゃべっていくうちに、プランはかたちを帯びてく

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会社を起こすということは。

会社を起こすということは。

時代のせいか、歳のせいか、あるいは住んでる場所のせいなのか。

ふと見渡して、あれれと思う。いつの間にやら気がつけば、友だちが「社長」ばかりになっている。知り合ったころには会社員だった友だちたちが、なんだかみんな会社を起こし、「社長」になっている。自分がそのひとりであることも手伝って、「社長」がえらいとはちくとも思わない。それでもまあ、ご苦労なことであるよ、と詠嘆するくらいの気持ちは持ち合わせてい

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ビル・ゲイツと石油王。

ビル・ゲイツと石油王。

大金持ちの代名詞、について考える。

九十年代後半からしばらく、大金持ちの代名詞といえばビル・ゲイツだった。人はなにかと「あー、ビル・ゲイツが5億円くらいくれねぇかなあ。5億円なんて、あの人からしたら痛くも痒くもないはずだよ」なんてことを口走っていた。けれどもビル・ゲイツがビジネスの表舞台から去り、2018年のいま、大金持ちの代名詞として彼の名前を挙げる人は少なくなった。

そんなビジネスの潮流と

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ありえへん、と女子高生は言った。

ありえへん、と女子高生は言った。

ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』は、とても好きな小説だ。

あれは何年前のことだろうか。自宅近くのCoCo壱番屋、そのカウンター席でカレーを食べようとした瞬間の話である。隣に座る見ず知らずの女子高生が、ぼくの注文した納豆カレーを一瞥してひと言、「ありえへん」とつぶやいた。おそらく関西出身の方なのだろう。そして風の噂に聞くように、関西のひとは総じて納豆を好まないのだろう。思わず「ありえへん

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渋谷とインターネットとSNS。

渋谷とインターネットとSNS。

ぼくという人間は、どこまで人間を信じることができるのか。

しつこいと思わず聞いてほしい。一昨日、豪雪のなかでキーケースを落としてしまったぼくは、落としたであろう渋谷駅から隣駅までのあいだを2・5往復も歩き回った。下を向いて、ひたすら足元を眺めて、歩き回った。道中のどこかで落としていることは間違いない。消失することなどありえないのだから、こうして雪にまみれて歩いているあいだも、地球上のどこかに鍵は

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下を向いて歩こう。

下を向いて歩こう。

自分という人間が、そのダメダメさが、思わぬかたちで露呈した。

豪雪の夜、渋谷駅に向かって、傘もささずにぼくは歩いた。降り積もった雪にざくざくと傘を突き刺しながら、下を向いて、雪を睨んで、ぼくは歩いた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。自分のどこが間違っていたのだろう。考えながら、渋谷をめざした。

英語ではそれをビッグスノーと言うのだろうか。きのうの東京地方は、何年かぶりの大雪だった。

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大雪のパーティーがおわったあとで。

大雪のパーティーがおわったあとで。

雪の降る日に雪の話を書くなんて、いかにもつまらない。

けれども雪の降る日でもなければ実感のこもった雪の話なんて書けないのだから、しかもきょうは東京地方にとっての初雪なのだから、メモとして、備忘の記録として、なにか書いておいたほうがいいだろう。

福岡と東京にしか住んだことのないぼくにとって、雪は「めずらしいもの」である。そしてふわふわと空から舞い降りてきた雪は、それが地表に到達するとき「うれしい

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遠くで流れているはずの音楽。

遠くで流れているはずの音楽。

自分はそこには行かないだろうな、と思っていたものの。

触らずしてそれを否定するのもよくないだろうと、音楽ストリーミングサービスの Spotify に登録してみた。ちなみに Apple music はまだ未登録で、たぶん登録することはないだろうと考えている。

自分が好きなミュージシャンの名前を検索して、ちくちくフォローしていく。たいていのアルバムは収録済みで、しかもバージョン違いまでしっかり抑え

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ぼくのデスクとデスクトップ。

ぼくのデスクとデスクトップ。

たまにはそう、ぼくの執筆環境について書いてみよう。

原稿を書くとき、どのテキストエディタ(ワープロソフト)を使うのかは、人それぞれ好みが分かれるところだと思う。それはもう Windows なのか Mac なのかというところからはじまり、たとえば村上春樹さんは EGWORD がないと小説が書けない、とまでおっしゃっている。ぼくもこれまでいろんなソフトを試してみた。Microsoft Word には

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犬と過ごす時間を入口にして。

犬と過ごす時間を入口にして。

ほかにいい入口を思いつかないので、また犬の話から入ろう。

仕事を終えて、家に帰る。「おとうさん」の帰宅を待っていた犬が、ぶんぶん尻尾を振ってよろこぶ。うしろ足で立って、飛びついてくる。その姿は、たしかにかわいい。およそ他人には聞かせられないほどだらしない、デレデレにもほどがある犬撫で声を出して、犬を撫でほめる。犬を迎え入れるのだと決めたとき、自分はきっとひどい親バカになるだろうなあ、と思っていた

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平成がはじまった日のわたし。

平成がはじまった日のわたし。

小渕恵三さんが掲げた「平成」の文字。

あれを見たときぼくは、いったいなにを思っただろう。たしか中学3年生の冬だった。空気としての世間は、まだまだバブルの絶頂期。明治生まれの人も、大正生まれの人も、普通のこととしてたくさんいた。六十数年しか歴史のない昭和という時代に生まれた人たちは、たとえ昭和ひとケタ生まれであっても、「まだまだおじいさん・おばあさんとはいえない人たち」だった。

平成の文字を見た

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5年に一度のこんにちは。

5年に一度のこんにちは。

ふとしたきっかけで最近、ジンジャーシロップ熱が再燃している。

飴色の、ねばっこいジンジャーシロップを、マグカップの底が隠れるくらいにたらす。少し多めの牛乳を注ぎ入れたあと、濃いめに淹れた、熱々のイングリッシュ・ブレックファストでマグカップを満たしていく。かさではなく、色の変化を頼りに満たしていく。チャイというにはちょっと薄い、ミルクティーというには華やかでスパイシーな、ジンジャーミルクティーがで

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抽象のことばから具体のことばへ

抽象のことばから具体のことばへ

正月が明けた年始の、いつだったかの話。

NHKのBSで『奇跡のレッスン』という番組を再放送していた。その分野のトップコーチたちが中学生や高校生に教えをほどこし、彼らが変化していくさまを追っていく、というドキュメンタリー番組だ。ぼくが観たのはラグビー元日本代表監督、エディー・ジョーンズさんの回。現イングランド代表監督でもあるエディーさんは文字どおりに世界を代表する名将だし、昨年縁あってぼくは彼にイ

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