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ありえへん、と女子高生は言った。

ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』は、とても好きな小説だ。

あれは何年前のことだろうか。自宅近くのCoCo壱番屋、そのカウンター席でカレーを食べようとした瞬間の話である。隣に座る見ず知らずの女子高生が、ぼくの注文した納豆カレーを一瞥してひと言、「ありえへん」とつぶやいた。おそらく関西出身の方なのだろう。そして風の噂に聞くように、関西のひとは総じて納豆を好まないのだろう。思わず「ありえへん」のことばが口をついて、顔を背けてしまうほどに好まないのだろう。なんだか申し訳ないような気持ちになりながら、ぼくはいそいそと納豆カレーを胃袋に流し込んだ。

ぼくは、単体としての納豆も大好きだけど、それ以上に「納豆の入った食べもの」全般を愛好する。たとえば納豆の入ったお味噌汁。あるいは納豆の入ったカレーライス。納豆の入ったパスタ各種。そして納豆の入った麻婆豆腐。

その特異な香りと粘りでおのれの「ここにいるぞっ」をアピールする納豆は、食材界のジャック・ニコルソンだ。脇役になれない男だ。それを投入・攪拌した瞬間、あらゆる料理は「納豆料理」に姿を変える。トッピング(添えものとしての脇役)のつもりが、いつの間にか主役になってしまう。納豆カレーも、納豆ペペロンチーノも、納豆麻婆豆腐も、ぼくにとってはすべて「納豆料理」だ。

それを痛感したのは、わが家の愛犬・ぺだるである。

少し前、犬用のおやつとして販売されているドライ納豆を購入した。「食欲」に手足と尻尾をつけた神話上の生きものみたいなうちの犬は、当然のようにドライ納豆をよろこんで食べる。ティッシュペーパーから落ち葉まで、有機物ならなんでも食べてしまうのだから、ドライ納豆なんて当たり前の大好物だ。そして今朝、なんとなくの思いつきでドッグフードの上にドライ納豆をパラパラふりかけ、ぬるめのお湯をかけて犬に与えてみた。


ありえへん、というくらいに臭かった。

二度とやるまい、と誓いをたてるほどに臭かった。


納豆ってのはほんとにむずかしい食材なんだなあ、大好きなおれでも、こんなに臭いよ。ばくばく食べる犬を見ながら、しみじみ思った。ただそれでけの話である。