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[雑記]春、お葬式、ブーゲンビリア

いろんな締め切りが重なって、週末はがっつり仕事だなあなんて思っていたとある木曜日。

母方の祖母が亡くなったと、連絡が入る。
その日は珍しく仕事で外出していて、業務を終えた後に飲みに誘われたが、祖母が亡くなったと伝えてその足で喪服を買いに行った。

家まで帰りの電車で宮崎行きの飛行機を確保する。
金曜日はフリーランスの撮影の仕事が入っていたため、外すことはできず、金曜日の最終便を取った。

猫のお世話を近所の友達に頼み、引き受けてくれたので今夜中に鍵を渡しに行かなくては。

そのタイミングで、友人から、
「総裁先生亡くなったみたいだけど、平野家大丈夫??」とLINEが来た。




母方の祖母は(小さすぎて覚えてないだけというのもあるのだが)ほぼ会ったことがなかった。
母の地元である宮崎も、里帰り出産で生まれ落ちた場所でしかなく、記憶のない小さな頃に行ったきりだった。

実の母とも、弟妹ともほぼ連絡を取らない母だったので、いとこにも会ったことがなかった。
(なんなら今回のお葬式で、お互い孫がいることを初めて知ったらしい。ちょっと変なのでは。)

私の母は熱狂的な某HS信者で、私はいわゆる二世で、小学校低学年までは神様を信じて疑わず、友達もみんな毎朝お祈りするもんだと思っていた。

うちが「普通」じゃないことに気付いてからは、ぼんやりとアンチだった。
ぼんやりなのは、やはり生まれた時から、宗教の考え方を刷り込まれていたため、簡単に全部否定出来なかったのと、子供にとっては親が全てだからだ。

友達に馬鹿にされたり、虐められたりするのが怖くて、正直この話を人にできるようになったのは社会人になってからだった。

ずっと、家が普通じゃないのがコンプレックスだった。
ちなみに我が家は6人家族で、信者と非信者、半分にキッパリ分かれている。
そんなもんだから家族仲がいいかと言われれば、別に良くはないし、宗教が原因で両親が喧嘩することはしょっちゅうだったので、本当にいい印象をひとつも持っていない。




そんな私の状況を知っての、友達からの大丈夫?LINE。

仕事やら準備やらで、ニュースを見てる暇もなく、そこで初めて知ったのだった。

これは大丈夫なはずがない。

でも不思議なことに、家族のLINEグループでは、そんなこと触れられていなかった。

が、その30分後、「おばあちゃんの希望で、HS式の家族葬とします」とLINEが来た。

祖母も信者だったこと、完全に忘れていた。
この、タイミングの良さは一体なんなのだろうか。

実家を離れてから、なるべく関わらないように、触れないように、布教されても無視してきた。
正直祖母が亡くなった悲しさよりも、家族で顔を合わせる憂鬱が勝っていた。



金曜日、朝早く起きて遠方での仕事を早めに切り上げて羽田空港に向かう。
フリーランスの大変なところは代わりが急に見つからないことだと思う。
会社のほうはもともと休みにしていたが、急な仕事の対応不可の旨連絡入れたら「家族優先で」と社長からの返信。

ちょうど、飛行機に乗ってどこか遠くへ行きたいと思っていたタイミングだったので、おもいがけず叶ってしまった。
空港で仕事しようとしたけど、なんだか疲れてしまって、ラウンジで飛行機を眺める。
夜の空港はずっと見ていられる。

宮崎に着いて、タクシーに乗り、そのまま先に現地入りしていた家族と合流。
そのあとご飯を食べに行ったのだけど、一つ前の記事で書いたように、とても疲れてしまった。

母親は兄弟たちと葬儀の準備で会場に泊まっているとのことで、顔を合わせずに済んでほっとした。



翌日、曇天。
宮崎ってどこにでもヤシの木が生えていて、これは九州ならではの風景らしい。なんだか遠くに来た気持ちになった。
出生地は宮崎なのに、来るのは3回目なのだ。知らない方言は少し怖い。

いよいよ緊張のお葬式。
会場にいくと、母、母の弟、妹、従兄弟がいた。
おばさん、おじさんは3歳くらいの時に会って以来だったので
「大きくなって〜」と言われたが、3歳と32歳じゃもう色々意味合いが変わってくるよなあなんて。もう立派なおばさんなのよ。
従兄弟と従姉妹については、初めましてだった。32年生きてきて、血のつながりがある親戚に初めて会うことなんてあるんだなあと、こちらも感慨深かった。
おばさん一家は仲の良さが伺えて、微笑ましい気持ちに。

さて、HS式のお葬式ではお経もなく、お線香も焚かないため、辛気臭いしっとりした雰囲気というのは皆無で、なんだかハッピーな雰囲気さえあった。
ハッピーサイエンスなだけある。
昔よく連れて行かれた支部の雰囲気に似ている。
よくわからんストリングスのオリジナル曲と、総裁先生のお言葉がCDでエンドレスリピートされていた。

お坊さんではなく道士と呼ばれる人が鐘を鳴らしながら入ってきた。
お経の代わりに「正心法語」を配られ、全員で読まされた。
またこれを聴くことになるとは。
正直今でも空で言えてしまうのではないか。それくらい擦り込まれている。
雰囲気的に読まなきゃいけなかったけど、祖母には悪いけど、声に出して読みたくなかったので、きょろきょろしていたら、妹も父も黙ってた。
御焼香の代わりに金色の砂を蓮の器に移した。
信者の人たちが代表して大きな蓮の花を一輪ずつ生けていく。
(これはとても綺麗だった。)
終わりに道士のお言葉があるのだが、ほぼ布教だった。
そうだよな、お葬式の場って宗教の布教にもってこいだよな、と一人で感心していた。

肝心の総裁先生が亡くなった件については、完全に触れちゃいけない感じなっていたし、なんならまだ存命しているていで話が進んでいた。
ああ、そういうことになってるのね。
でも、あなた方の教えで、肉体が死んでから24時間で完全に魂が肉体から離れるんじゃなかったの?エルカンターレは例外?などいろんな疑問が湧いたけど飲み込んだ。

火葬場に移動する。
従姉妹はちいさい赤ちゃんがいたので先に帰ったが、うまいなあなんて思った。どうやらおばさん一家はnot信者のようだ。
帰り際に付き合ってくれてありがとうねと言っていた。

火葬場独特の匂いがする。

時間があるので、従兄弟とお話をする。最近まで仕事で東京にいたらしい。そんな近くに親戚がいたことにびっくりする。
せっかくやっと会えたしみんなで写真撮りたいなあって言っていたのが微笑ましかった。
(場所が場所だしと諦めたのでまたどこかで会えたらいいね)

発狂しているのではと思われた母のメンタルは意外と淡々としていてほっとした。母の心配ではなく、アンチ家族の心配。
お骨も拾い、一通りの儀式は滞りなく終わり、宿に帰って匂いの染み付いた喪服を脱ぎ捨て温泉に入った。
夜は家族でこんないいお店行ったことないというような、美味しい焼き鳥を食べた。
なんとなく、家族で集まってご飯食べるって、もしかしたらもう次は誰かが死ぬ時なのかもしれないななんて思った。



その夜は弟と二人部屋だったので、真剣に宗教の話をした。
てっきり宗教から離れてしまっていると思っていたので、うかつに総裁の死に触れてしまった。
あれって実際どうなってんの?と。

苦笑いしていたけど、まだ死んだことにはなってないみたいだねと、メールを見せてくれた。
みんなでお祈りしましょう的な文面で、ああやっぱりという気持ちになった。

彼はまだ信仰は捨てていないとのこと。
HSに救われた事実は変えられないし、HSの中の人たちの善意も変えられない事実だから、おかしいなと思うことがあっても、信仰自体はやめていないと。
それはその通りだ。
宗教は人を救うためのものだし。それで救われたという事実は真実以外のなにものでもない。立ち直ってよかったと思う。

(でも、その宗教によって嫌な気持ちをしてきた人がいるのも事実なんだけども、という言葉は飲み込んだ。)

実際お葬式自体は、雰囲気がよく、嫌な感じがしなかった。
信者の弟も妹も別に普通に話してる分には全然好きだし、私がアンチなので宗教の話は極力してこない。気を遣ってくれているのがわかる。
子供の頃会った信者の人たちも悪い人はいなかったように思う。

じゃあ私はこれまでずっと何が嫌だったんだろう。

人生32年目にして、気づいた。
母親が苦手なのだ。

とにかく押し付けがましく、なにかと布教されたり、選挙の時期には電話が来たり、みたくもない映画のチケットが送られてきたり、実家を出てから今までずっとそれが続いていた。(今後も続くだろう)
「嫌だからやめてほしい」となんども訴えたのだけど、言っても意味がないと気づいてからはもう全部を諦めて無視することにしていた。

母親が押し付けてくる「宗教」が苦手になるのも当然だろう。
押し付けてこなければ、宗教に対しても、ふーんくらいで思えたかもしれない。
また、父親もアンチなので、それがきっかけで喧嘩することも多かった。

苦手だったのは宗教というよりは、母親だった。
「宗教を押し付けてくる母親」が嫌いなのだ。

その日の夜、これ持って帰って読んでねと、しっかり本を渡された。抜け目ない。
これは冒頭の友達にプレゼントしようと思う。



思いがけず、祖母のお葬式で、自分の気持ちに気づいてとてもすっきりした。
おばあちゃん、ありがとうね。
あなたの娘が苦手だということに気づきました。



日曜日はとても晴れていた。

母親とエレベーターでふたりになるタイミングがあって、もう苦手意識が爆発してしまって、なにを話せばいいかわからなかった。
「来てくれてありがとう」とだけ言われた。
なににありがとう?

ペトロールズのライブが東京であったので、みんなより先に空港に向かった。
空港までの道中、ヤシの木がずっと続いている。
宮崎空港は、宮崎ブーゲンビリア空港というらしい。
南国らしい名前でとてもいいなと思った。
もう来ることないんじゃないかな。どうだろう。でも来れてよかった。

その足でライブを見に行き、ご飯を食べて、家に帰った。
猫たちは素っ気なかったのだけど、不在のあいだ友人がしっかり可愛がってくれたからだと思うことにした。



東京はとても安心する。
本音で話せる友達、仕事、好きなものやことやひとが全部集まってる。

家族と一緒にいるほうが、疲れることもあるんだなあ、と、また気付きを得る。

月曜日から日常。
なんなら、仕事が溜まっているからめちゃくちゃ大変だぞと思いながら、やるべきことがたくさんある状況に安心もする。

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