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言葉に甘えない生活を終えて。文字発信を3年間禁じていた理由。

今まで文字発信はそこまでしないタイプであったものの、また始めようと思ったのは何故だろう?特にここ2~3年は本業である作曲と演奏は勿論のこと、発信はなるべく文字を使わないInstagram、YouTubeに明け暮れていた。特にTwitterは意図的に避けてきたというかもはやインスタグラマー。

きっと文字って何かを伝える上で一番便利なんだよなと。
音楽を生業とする僕にとって、文字を使って人に何かを説明したり伝えるのは遥かに楽だなと。特にSNSにおいてはとても便利なコミュニケーションツールなのだけれど、一方でこの安易な表現に頼るリスクみたいなことを無意識的に察知していたし、音楽家として熟知しなければならかった。そんな心境だった。

ここ数年の文字を避けてきた理由の自己分析をすると↓
①逆説的に、文字や言葉を大切にしたかったからこそ、文字のみの発信を避けて感覚を試したかった。
②偏りがちな性格も影響し、コンテンツ主義みたいになっていた。
③伝えたいメッセージを言葉以外に敢えて落とし込んでアウトプットする方が表現の訓練になると思っていたから。

とまぁ、上記のストイックな理由から言葉に甘えない生活を送ってきた。悉く文字発信から逃げてきたわけです。

そしてこの文字発信禁止生活3年の実験結果。肌感から↓
❶言葉を共有しない独特な孤独感に苛まれる。
→LINEとかDMはやり取りするもののリア友に心配される。
❷文字発信すべきタイミングを見失う。
→極端に文字を減らしたことのよる発信方法の変化。ネットにおけるコニュニケーション方法の変化を感じる。
❸言語感覚、距離感覚、温度感覚が麻痺する。(ネット上での)
→リアルに当てはめると...寡黙でずっといるような感覚。あれ?どんな感じで喋ってたっけ?というのをネット上で味わうことになる。

さぞかし感覚麻痺に陥るといったデメリットが多いように感じる一方で?
メリットも↓
❶ただただ自分の表現に集中できる。
→次第に周りも、小野君はこれに夢中なんだね。って状況になる。
❷コンテンツ力が増す。
→圧倒的に表現のクオリティーが増す感覚が味わえる。
❸スタイルがマッチするミュージシャンやクリエイターと出会える。
→ドンピシャで自分の音楽やスタンスにフィットする人が見つかる。
❹リアルでは取れない仕事に繋がる。
→結構色々な方が見ている。
❹バズる。
→ひたすらやり続けていれば。ずーーっと演奏動画作りに専念してるので。イン&アウトプットを常に映像や画像のみをやり続ける結果、視覚的なセンスが磨かれ効果に現れる。(Instagramここ2年でフォロワーも300人→約7,000人に。広告無し。)嘘のようでマジ。

自分の表現に専念できたこの2〜3年はとても収穫だった。特にYouTubeやInstagramの演奏/作品動画はそのまま名刺代わりとなったし、更には結構リアルでは知り合えないような大きな組織の人も見ているという。人生を左右するような大きな仕事や人々にも巡り合えたんだよね。ただでも、それでも尚、これからは文字も使おうかなと思った。それはやはり、、

発信できそうなネタが増えたから。笑

まあ言い換えれば、演奏動画だけでは伝えきれなかった、今までの自分の活動をもっと説明したい!シェアしたい!とか色々な感動的な物語が最近増えてきたのもあって、また始めようと思った次第。まぁ超当たり前なことだけれど。笑 

あと真剣な理由として、文字は作品にも凶器にもなりえるということ。便利であると同時に言葉の威力を理解しながら発信しないとなと根底に考えている。ただやはり、この言葉というツールは僕の活動を補足的に説明する為に今は正直使わざる追えない時代なのかなとも思う。そろそろ僕も何か文字/言葉でも発信しなければならないなと...。という理由から始めることに。プラットフォームは前々から好きなnoteで。こう文字を綴ることが一つのアイデンティティーにもなり得るし。文字は少し音楽から遠いかもしれない一方で、こうして文字ベースから何かを生み出すのも良いかもしれない。(compositionは作曲という意味だけでなく作文とか構成の意味もあるから普通に作曲的にも深い繋がりがある)。
とにかく読者の方にはnoteの記事を通じて、僕の思考の1ページを覗いてくださればと思う。

2〜3年前のコロナ禍は僕にとって大打撃で、言葉の発信にもう嫌気がさしていた。直感的に。僕はふと広島の原爆資料館にバーンスタインが記した言葉を思い出した。

Too many words already –
Not enough action !
Leonard Bernstein
5 Aug ’85

〈言葉が既に多すぎる、行動は足りてないのに!〉

とても強いメッセージでしょ?この言葉をあの頃の自分に置き換えたら、やはり音楽をやり続けないとって捉えた。

ある意味、今までの自分にさようなら。これからの発信方法として大きく違うことは、これまでの自分よりも成長した形で文字発信生活もまたスタートできそうなところ。言葉で伝える大切さを忘れないためにも発信しなければならないなと。X(Twitter)ともリンクさせながらやっていこうと思う。

今まで言えなかったこと、今起きていること、これからのこと、役立つこと、役立たないことも。色々と発信していこうと思います。ゆっくりと。

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