写真_2019-08-19_14_23_04

苦手は克服せずにインクルージョンすればいいと思う

もう散々言われてることなんだけど。苦手があるとどうしてダメなんだろう。いまだにすごく不思議だ。

いや、ダメとは言ってないよ。でもなるべくなら苦手は減らしたほうがいいよねというぐらいなのかもしれないけど、やっぱり「苦手あってもいいじゃん」という空気にはなりにくい。

すごく雑な言い方をすると、日本の教育とか社会規範って「苦手を持つのは悪」「苦手を克服する」のが目指すべき方向になってる気がする。しませんか? 家庭や学校、職場でも。

苦手ってほんと字のごとく苦い。苦しい。なのになんでわざわざ向き合わせようとするんだろう。素朴に根源的なところから疑問フラグを立ててみた。


・苦手の存在そのものが許されない

まず、これがいちばん大きい。苦手の存在そのものがなぜか認められていないのだ。べつに苦手を評価しようよとまでは言わない。けど、どこかで苦手を後ろめたく思わないといけないのっておかしいのでは。

・苦手を放置してると困るよと脅される

これもよく見聞きする。親や教師や上司といった人たちが「上」からこれを投げ込んでくる。しかも善意で。早い時期に苦手に取り組まないと、社会に出て困るよとか、苦手なことがマイナス評価されるよ。困るのは自分だよ、と。

・苦手克服が称賛される

嫌いな食べ物とか運動系とかのわかりやすいものから、対人関係、何かの学習、家事や仕事分野でも「苦手と向き合って」「苦手から逃げずに」「練習を重ねて」「苦手を克服」したストーリーって結構みんな好きだ。称賛される。

         ***

というような、大雑把に3つの要素がコンボになって「ほら、やっぱり苦手はないほうがいいでしょ」「苦手克服しようよ」になるのかも。

で、さらに今回のラグビーワールドカップみたいに日本代表は「苦手だったキック戦術を磨いてティア1のチームに勝った」みたいな、そこだけ切り取った情報がクローズアップされると「ほら、やっぱりそうじゃん。苦手克服したほうが強くなれる」みたいな感じになる。

でも、それは前提がぜんぜん違う。そもそも彼らはベースの部分から鍛えられまくったトップアスリートで、それぞれが何かにモチベートされ、目標達成のためのスキルや方法論も個々にプロレベルでインストールされてる。

その上で「これまで積極的に採り入れてなかった戦術を磨く」というものだ。一般の僕らが「苦手なことに挑戦」とかいうのとは次元が違いすぎる。そもそもラグビーが「苦手」だったら代表にもなってないしコートに立ってない。

         ***

まあだから、自分が好きなこと、何かすごく目的を持ってやってることで、そこに行くために「これやっといたほうが」と自分で納得できて、そこまで嫌じゃないことなら「苦手」でもやってみるのはある。

思い込んでたけど、やってみたらそうでもなかったというのも、実はそんなには苦手じゃなかった系なのかもしれない。やってみてやれてしまう時点でそうなんだろう。

だけど、どうにも無理なやつはやっぱり「苦手」のままでいいんじゃないか。逆に「苦手」があるから、それでもし困ることがあったら、なんとかそれ以外のことでカバーしようとするし。

僕だって、基本的には人間関係が苦手だし、だからそこのギャップを利用してライターをやってるところがある。ふつうに人間関係がこなせる立派な人間だったら、ライターはやってないし続けられてないかもしれない。

そう、だから僕は根源的な苦手は克服というより「利用」している。

自分という組織があったとして「苦手」は排除せずに自分の中の苦手を受け入れてる。インクルージョンしてる。自分の一部として活用してるといったほうが近い。

それでも生きていくことはできるし、なんならそのほうがカラフルな人生になるかもしれない。そんなふうに感じてるんだけど。