丁寧疲れという謎の現象について
丁寧な接客っていいんだけど、たまに疲れないですか? 普通に考えれば、雑な接客をされるより丁寧な接客をされたほうがいいはず。けど、そうとも限らないことってあるんですよ。
取材やなんやかんやで旅的な時間が続くと、どの町でも「よそ者」になります。
まあ、当たり前。その町が、いわゆる観光地力の高い土地だと余計にそうなります。よそ者オーラはわかりやすいですからね。
「ご旅行ですか?」
「まあ、そんな感じです」
変に「取材で……」とか言うと、いろいろ面倒くさいときもあるので、そこは軽く受け流す感じで。
で、入った店が地元の人半分、旅行者半分のような店だと、店によって空気がふたつに分かれるような気がするんですよね。
外から来たお客さんの扱いに、妙にこなれていて「丁寧なお客様扱い」をする店と「地元の人優先」で、よそ者は適当に放置される店のふたつ。
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個人的には、旅行者が紛れ込んでも「雑以上適当未満」ぐらいの空気で接してくれる店が好きかも。こっちは「よそ者」なのだから、ひっそりとお邪魔させてもらってますという感じ。だけど、なかなかそうもいかないこともあります。
入る店入る店で「丁寧なお客様扱い」が続くと、なんだか丁寧疲れするんです。なんだろう、あの妙な感覚。
京都のとある町を歩いていたときもそうでした。お腹が空いてたけど、なんか入りたくなる店がない。もう、この先に行っても地元の店しかないだろうなという感じのところに「食事の出来る喫茶店」という看板を発見。
「この辺はないからなぁ、うちで食べていき。うちは、そんな吸うお客さんほとんどおらへんし」
明らかに常連だらけだろという喫茶店のような洋食屋さんのような店に入ろうかどうしようか迷っていると、中からおかみさんが出てきて言ってくれたんです。夜は多少周りで吸っててもいいけどランチは禁煙の店に入りたい派なので。
結果的には、それが「落ち着く店」でした。
お客さんも、近くの大学の先生やリーマン、時間の概念なく自由に生きてるような職業不詳な人たちがほとんど。
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この町の日常はこんな感じなんだなぁと、よそゆきじゃない自然な空気が流れてる店って逆に落ち着くんですよ。旅行者の時間が続いていると。
よそ者なんだけど、一瞬だけ「この町にもし自分が住んでいたら」という気分にさせてくれる瞬間って好きなんですよね。
Stranger Than Paradise。深い意味を探すほどではない何か。
勘違いなフレンドリー接客では決して味わえないもの。
店を出るときに「まだ歩くんやろ、これ持っていき」と、おかみさんが飴ちゃんを手渡してくれました。リアルに関西のおばちゃんルールが発動した黒糖飴。ふだんなら食べないけどこの時はすぐに口の中へ。ちょうどいい甘さ。
「ほなまた来るわ」
思わずそう言いたくなったある日の知らない町。その「また」は二度とないかもしれないし、意外にまたすぐかもしれない。そういう出会いがたまにあるから、丁寧疲れをしても旅に出るのかもしれないですね。
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