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インポスター症候群は本当に悪なんだろうか?

「自分なんかを評価してもらって申し訳ない」「本当はそうじゃないってあとでがっかりされるぐらいなら最初から評価されたくない」

人から評価されてもそんなふうに感じる人って、結構いる。

謙遜ともまた違って、当事者はまあまあ本気で居心地悪かったり、苦しかったりするのだ。

そういう傾向の強い人を「インポスター症候群(Impostor syndrome=詐欺師症候群)」と呼ぶのだけど、それにしてもすごい名前だな。自分では能力も成果もたいしたことないと思ってるのに評価されることで、まるで自分が詐欺を働いてるような感覚になるところから来てるらしい。

なるほど。基本的に女性に多いと言われているけど、本質的には性差の問題じゃない気がする。僕も生物的には男性だけど、その感覚は少しわかる。自分ごときがそのような評価を滅相もないとか、それはちょっと買いかぶりすぎだろうと思うこともたまにあるから。

ただ、その場合も相手が悪いわけじゃなく、だいたいは僕自身がその相手との関係性をそこまで構築できてないために評価の非対称性(そんな用語ないけど)みたいなものが生じてるだけ。

それは決して自分を見下してるとか、自信がなくてとかじゃない。自分なんてと思いながら自信のかけらもなく大丈夫な感じで仕事してたら、そっちのほうこそむしろ詐欺師になる。そんなことはしない。

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思うのは、誰だって多少は人から評価されても「評価はありがたいけど、評価はあくまで評価で大事なのはもっとその先」と思ってるぐらいのほうが、インポスター症候群で言うところの本当の詐欺師にならずに済むんじゃないか。

僕自身はベースとして「他者からの褒め言葉は2割引き、厳しい言葉は2割増し」で受け取るようにしている。人を褒めるときは多少盛るものだし、言いにくいことを言ったり指摘するときは逆に全部を言わなかったりするからだ。もちろんそうじゃない人もいるけど。

そもそも「評価」をあまり重要視しないほうがいいのかもしれない。評価なんてちょっとしたことで変わるものだし。

それより、あたたかい気持ちを共有できたり、何か世界が開けたり、誰かのちょっとした喜びになってたりという「事実」にだけ純粋にフォーカスできれば十分。

これは何のエビデンスもなくだけど、個人的にはインポスター症候群に陥りがちな人のほうが評価の強者より「事実」として誰かのかけがえのない存在になれてるような気がする。

そう考えるとインポスター症候群も絶対的な悪(気に病まないといけないこと)ではないのでは。