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『カメラを止めるな!』が大坂なおみと被って見えた話

まるでコートの大坂なおみを観てるようだった。もちろん、テニス全米オープンではなく映画『カメラを止めるな!』の話だ。それぐらい僕の意識は止まらないカメラに揺さぶられ続けていた。

話題の映画だってことはもちろん知っていた。いろんな意味で。だけど僕は余計なノイズはシャットアウトして、できるだけ映画そのものに集中するつもりでコートにじゃなく劇場に入った。

大坂なおみは「コートに入ったら私は別人で、セリーナのファンではいられなくなる」と語ったけれど、そんな感じだ。劇場に入ってスクリーンと向き合えば、相手が誰だとか話題性がどうであろうと、何とか現象が起こっていようとなかろうと、ただ目の前の映画に対峙するだけなのだ。

ところでカメ止めのサービスゲームは素晴らしかった。もしかしたら観客の僕がサービスゲームを取れそう? と思うブレークポイントで、カメ止めはこちらが形勢をひっくり返す気をなくすぐらい勢いのあるサーブをしてくるのだ。

いい意味で僕の完敗だった。カメ止めはスクリーンでの勝負に勝ったのだ。圧倒的に。想定を超えて観客を楽しませ、随所で駆け引きも見せ、最後まで自分のプレーをし通しすべてを持っていった。

この映画が好きか嫌いかとか、新しいか新しくないかというのとは別の次元で負けは負けだった。セリーナ・ウィリアムズの気分と言ったら言い過ぎなんだろうけど。

スクリーンの外で何があったのかは知らないしとくに興味もない。そんなのいろいろあるだろう。詳細は書けないけど僕も来年公開のとある劇場映画に少し関わっていて、現場の外、スクリーンの外のあれやこれやを多少目の当たりにしてるので、まあそういうのもあるよというのもわかる。

もし何か言われるとすればコートの外、スクリーンの外にいる人たちだろう。それぐらい映画そのものはネタ満載でおもしろかった。

もし『カメラを止めるな!』が一個の人格を持っていたとして、インタビューで、あなたの映画としてのアイデンティティについてどう考えているか? とよくわからない質問を記者に投げかけられたら、きっと大坂なおみのように「私は私であるとしか思ってない」と答えるだろう。

そう。映画『カメラを止めるな!』はタイトル通り「カメラを止めるな!」でしかないのだ。