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イノシシが遊びに来た話


最初に気づいたのは妻だった。

「うちにイノシシが来てる!」

真昼間である。いくら里山だとはいえ、人間の活動してる昼間にそれも家にイノシシが来訪する想定はしていない。

だからなのか、「イノシシが来てる」が現在進行形なのか過去形なのか一瞬よく分からなかった。

「え、イノシシって?」
仕事の手を止めて、妻のほうを見ると外を見ている。

一応、キッチンガーデンと名付けた(実際はそんなオシャンティなものではない。しかも真冬のいまはほとんど枯れ草に覆われている)ところを妻が指差す。

ガラス越しに見ると、何やらラグビーボールのような物体がチョロチョロしている。しかもふたつ。

茶色い縞模様がまだ少し残った、毛が生えたラグビーボール。ウリ坊とも呼ばれるイノシシの子ども2頭だ。

そういえば、この前もぬかるみに何か獣の足跡があった。といっても、ここらでは別に獣の姿は珍しいものでもない。

キツネ、タヌキなんかはふつうに見かけるし、真昼間から『もののけ姫』のシシ神みたいに立派な角を生やした鹿が悠々と林道を走っていくのを見たときは「まじか」と思った。鹿だけに。ファンタジーがすぎる。

で、うちに現れたイノシシの子たちだ。見てると、しきりにリンゴの樹の周りを鼻をくいくいさせながらウロウロしてる。

あ、と思った。1カ月ぐらい前に、リンゴの樹の周囲に「ハネ」と呼ばれる痛んだリンゴを埋めたのだ。ウリ坊たちは、そいつを嗅ぎつけてるのかもしれない。まずい。

子どものイノシシとはいっても、掘り返されたら根が傷む。それに、この場所に食糧があると学習すると、またやって来る可能性が高い。

イノシシの学習能力はすごく高くて、安全な餌場も危険な個所も記憶するし、決まったルート(獣道)しか通らない。リスクを極力避けるのだ。だから、うちが彼らのレストラン認定されてしまうと厄介だ。

それに幸いこれまでうちの畑ではイノシシ被害に遭ってないけど、彼らの大好きな芋類もつくってるのでこっちもまずい。狩猟免許は持ってないので捕獲はできない。追い払おう。

そう考えて外に出ようと秒で長靴を履いたのだけど、一瞬、何かが気になった。親イノシシだ。子イノシシが2頭いるということは、近くに親イノシシもいるかもしれない。

子イノシシを追い払おうとして、デカい親イノシシがこっちに反撃してくる可能性だってある。ここでケガしたら原稿……。いや、でも待てよ。いまはゴリゴリの狩猟期間。うちの周りも猟友会がしょっちゅう走り回ってる。

そんな時期に、しかも昼間に人間がいるところにわざわざ出没するほどイノシシは馬鹿じゃない。ということは、このウリ坊たちは親からはぐれた可能性が高いんじゃないか。だから、餌を求めてここまで来てる。

そう判断して飛び出したら、さすがに一瞬こっちを見てダッシュで林を登っていった。

しかも、そんな緊急時にも、ちゃんと安全な「獣道」を通って。以前、知り合いの近くの猟師さんに「ここ獣道あるね。イノシシ来るよ」と教えてもらったルートだった。

なんか、小さなイノシシを追いかけるのもどうなんだろうとも思ったけど、お互いさまな部分もある。僕らだって獣たちの領分に入り込めば、同じように今度はこっちが追われるのだ。

ちょっとした騒動だったのだけど、あとで妻がぼそっと言った。

「あれぐらいのイノシシって、おいしそう」

そうなのだ。僕も同意せざるを得ない。さっき、子イノシシを追い払うのってどうなんだとか思ってたくせに。

でも、それが里山で生きるってことなんだ。たぶん、狩猟免許取る日もそんなに遠くない。