カレーのある人生の終わりに
「カレーが食べられなくなったときは、もうお終いだ、きっと」
こんな一文をどこかで見かけたんだけど、どこだっけ。
池波正太郎先生のエッセイだったのか、どこかのカレーの店だったのか記憶は定かではないのですが。
もうなんか、なんでもない一文の中に人生が煮詰まってる気がするんですよ。煮詰まるというのは本来の意味で。せっかくカレーが煮詰まってるのに、もう食べたくない状況を想像するとなんか泣けてきます。
*
何でもない日だってカレーはおいしいし、うれしい日も、沈んだ日もカレーの味だけはちゃんといつもどおりでいてくれる。
なのに、そのカレーすら食べられなくなたら、もう本当にいろんな意味で人生がお終いのときなんじゃないかと。
まあ、今のところそんなことは想像でしかなくて、まだ人生はぐつぐつ煮込まれていくわけですが。
なんでこんなどうでもいいことをつらつら書いてるのかというと、ただカレーが食べたいからだけなのかも。
でも、これがカレーじゃなくて「蕎麦」や「パスタ」だと「パスタが食べられなくなったときは、もうお終いだ、きっと」とはならない気がしないですか?
いや、パスタをdisってるわけじゃなくパスタも好きなんですが、パスタはパスタ系宇宙すぎて、別次元というかカレーほど生々しく人生を呑み込んで消化しない感じなんですよね。イタリア人なら違うのかもしれないけど。
*
とにかく、なんか無性にカレーが食べたい。ついでにカレーと人生についても考えてしまう。四月の雨の木曜日。
==================
◎熊にバター(よく読まれてる読み物)
掃除機に乗る
イヌリンの秘密
拳銃の悩みについて