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カレーのある人生の終わりに

「カレーが食べられなくなったときは、もうお終いだ、きっと」

こんな一文をどこかで見かけたんだけど、どこだっけ。
池波正太郎先生のエッセイだったのか、どこかのカレーの店だったのか記憶は定かではないのですが。

もうなんか、なんでもない一文の中に人生が煮詰まってる気がするんですよ。煮詰まるというのは本来の意味で。せっかくカレーが煮詰まってるのに、もう食べたくない状況を想像するとなんか泣けてきます。

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何でもない日だってカレーはおいしいし、うれしい日も、沈んだ日もカレーの味だけはちゃんといつもどおりでいてくれる。

なのに、そのカレーすら食べられなくなたら、もう本当にいろんな意味で人生がお終いのときなんじゃないかと。

まあ、今のところそんなことは想像でしかなくて、まだ人生はぐつぐつ煮込まれていくわけですが。

なんでこんなどうでもいいことをつらつら書いてるのかというと、ただカレーが食べたいからだけなのかも。

でも、これがカレーじゃなくて「蕎麦」や「パスタ」だと「パスタが食べられなくなったときは、もうお終いだ、きっと」とはならない気がしないですか?

いや、パスタをdisってるわけじゃなくパスタも好きなんですが、パスタはパスタ系宇宙すぎて、別次元というかカレーほど生々しく人生を呑み込んで消化しない感じなんですよね。イタリア人なら違うのかもしれないけど。

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とにかく、なんか無性にカレーが食べたい。ついでにカレーと人生についても考えてしまう。四月の雨の木曜日。

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