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築地市場の消滅と僕たちの「閾」

市場の舞台袖が好きかもしれない。また変なこと言ってますが、好きなものは好きなのだからしょうがない。

舞台袖っていうのは、舞台でいえば上手下手(右左)に掛かっている幕のすぐ後ろ。市場ならお客さんと対面してる店先や通路からちょっと逸れた場所。

完全に舞台裏ってわけでもなく、お客さんの姿も見えるんだけどちょっと引っ込んだ感じのところから、市場の気配を感じられる空間。

昔の市場には、そういう「閾」のような場所が自然にあったような気がするんですよね。というのも、小っちゃい頃、大叔母が市場で魚屋をやっていて、よくそこで遊んでたので。

子どもが遊んでも商売の邪魔にもならず、でもなんとなく「世間」が観察できるふしぎな位相。

        *

けど、最近世の中から、そういう表でも裏でもない場所が減ってるような気がしませんか? ショッピングモールはどこにでもできてるけど、完全に表と裏しかない場所だし。

なんで、そんなことを思ったかというと、築地の近くに用があって築地市場に寄ったからです。そう言えば豊洲市場への移転が公式にアナウンスされてから行っていない。何時ぶりなんだろうというぐらい。

場外は既にいろいろ新しい観光客向け施設が建ちはじめたり変化して、相変わらずいろんな国の人たちで賑わってます。でも、場内に入ると、そこには変わらない築地の空気があるわけで。

ちょうどお昼前なので、もう店じまいの時間。さっさと後片付けして帰ろう、ああ、今日もやれやれ終わりだなという空気が漂ってる。この気だるいのに、どこか解放感のある感じは嫌いじゃない。


で、仕入れにきたわけでもない僕が向かうのは「茂助だんご」。ここは週末、店頭売りの団子が文字通り飛ぶように売れていくけど、この時間の店内は意外に空いていて、市場関係者がふらっと長靴姿でお茶と甘味で一息つきに来るぐらい。

卸売市場の中ほどテンションも張らず、場外のThe・観光スポット感もここまでは入り込んで来ない閾のような場所。

いろんなお客さんからの注文伝票がセロテープで無造作に貼られ、年季の入ったテーブルがいくつか並んだ狭くて雑多な店内は、逆に落ち着くんですよ。

ここには確かに人の営みがあるなぁと感じられることが、どんなおしゃれなデザインよりもほっこりする感じ。


杖をついたおばあちゃんが「私は、ここの団子しか食べないの」と言いながら袋に入れてもらった団子のパックをさげて出て行く。

その後ろ姿を店の奥から見送る四代目のご主人が「気を付けてね。ちょっと見てあげて。危ないから」と店の女の子に声を掛ける。

その様子が、なんかいいなぁ。量産型のロボット接客みたいな「いらっしゃいませ、ありがとうございました」じゃない何かがあるんですよ。

商売愛があると、どんな言葉だって人をいい気持にさせてくれる。関係ないこちらまで、なんだか癒されるからふしぎ。

        *

そして肝心の団子やお汁粉の味。気働きがあるご主人がつくるものが、おいしくないわけがない。

こんなしあわせな店も、来年には消えてなくなります。豊洲の新市場には、どうやら観光地化した漁港なんかにありがちなモール的な施設ができるらしい。

けど、そこにはきっと人間の営みからは遠い無機質な経済の匂いが漂うんだろうな。

そのとき、あの杖をついたおばあちゃんはどこに団子を買いに行くんだろう。

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