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なぜ職業欄に「人間」と書いてはいけないのか(個人的な話)

個人的な話です。世間は平和な(たぶん)三連休の真ん中で、きっとみんなキノコ狩りに忙しくてほとんどnoteとかインターネッツを見てる人もいないだろうから。

なんで僕は文章を書くのか。仕事だからだよ、と言ってしまえばそれだけの話。そう、職業です。確定申告とかのシステム上、税務署に提出している諸々の書類も職業欄「文筆業」になっている。

なんだけど、まあまあ長くこの職業をやってても、自分が文筆業であることがしっくりきてるようできていない。裸では外を歩けない(歩いてもいいんだけど、いろいろ面倒くさい)から、一応、何らかの職業名という名の被服を身にまとっているだけの感じなのだ。

だから、べつに「文筆業」でなくて「ものかき」だっていいしなんだっていい。なんなら驢馬使いだっていい。

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どうして、そんなどうでもいいことが引っかかるのか。自分でもよくわからないんだけど、僕は文章を書いてそれを生業にはしてるけど、本当の目的というか成したいことは文章を書く行為、それがなんらかのかたちで仕事として成立することの「向こう側」にあるからかもしれない。

身も蓋もなく言えば、文章を書くのはそのための手段。たまたま僕は絵が描けないし、歌も歌えないし、カメラも回せず楽器もできないから文章を使ってるだけ。だから「文章を書く仕事がお好きなんですね」という感じのことを言われると言葉が出てこない。


文章を書く仕事が好き? なのか……。そりゃまあ嫌いではない。嫌いなのにずっとやれるほど楽な仕事でもないし、そんなメンタルだったらどうにかなってるだろう。

じゃあお前は適当に文章書いてるのか、というとそういうことではない。好きではなく嫌いでもなく、なんでもいいからやってるわけでもなく「文章を書く」ことを手段として、誰かと自分のために探したいもの、届けたいもの、シェアしたいものがあるからやってるというのが、まだ少しだけしっくりくる。

僕は究極的には、職業名なんてどうでもよくて〈生きてることが仕事〉になればそれがいいなと思ってるので、できればそこに近づきたい。

動物の中で人間だけが「職業」を持たないと、なんだか人間扱いされないというのもすごく不思議だ。カピバラは職業的には無職だし、サルだって、ネコだって、イルカだってそうだ。

いやいや、人間は他の動物と比べて遺伝子的にも高等動物だから職業を持つのは当然なんだよという考え方もあるけど、2000年代に解明されてきたヒトゲノム解読でそうとも言えなくなったのは有名な話だ。

下等動物とされるマウスの遺伝子数と人間の遺伝子数なんてほとんど変わらなくて(約2万数千個)、なんなら動物でもないトウモロコシなんかのイネ科植物の遺伝子数のほうが、人間の倍ぐらい(約4万5千個)高等なのだ。

それはともかく、人間だけは「人間を職業」にすることができないでいる。だから、職業名を超えたいというのは、なんとかそうなりたいという僕の遺伝子レベルでのもがきなのだろうか。

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そんな荒ぶる遺伝子を落ち着かせたいときに、いつも読むのが西村佳哲さんの本だ。〈生き方・働き方〉研究のリアルに尊敬できる人のひとりで、いつかお話を伺いたい人でもあるんだけど。

西村さんの本『自分をいかして生きる』に書かれたことばは、どんなときも胸にスッと入り込む。

気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。

好きなことだから仕事でやりたいわけでもない。〈好き〉というものでは言い表せないなにかを持ったとき、そこに触れたときから人間という職業の遺伝子スイッチが入るのかもしれない。

そこからの時間が、きっと本当の意味での〈生きてることが仕事〉につながる道なんだろう。