40年前の「声」が生々しかった
《私も五十を過ぎましたので、私の中の黒い部分も五分の二になりました》――。
今から40年ほど昔に出版された古本のページで、こんなことばと出会ったことがある。
どうやら、その本は一般のご婦人と呼ばれる人たちの手記を集めて編集したものらしい。だからといって、21世紀のコンビニやショッピングモールの書店で見かける「本当にあった~」みたいな告白手記本的な匂いはまったくしない。
書かれている日本語の居住まいがなんとも独特なのだ。生々しい何かがそこにはありつつ静謐な感じさえする。向田邦子さんの世界にも通じる何か。
もちろん編集の手が入っていたとしても「声」はそのまま残っている。
「反応」や「つぶやき」ではなく「心の声」でもない、その人の生き様にくっついた声。それは今のように「使い分ける」ことも難しく引き剥がせない。本当にその人の「声」に触れてしまうから、読んだこちらはビクッとする。
《私も五十を過ぎましたので、私の中の黒い部分も五分の二になりました》
どこか醒めた感じで、自分を物差しの目盛りでも見つめるかのように語っている誰か。それは静かでメタ的な語りだからこそ逆に迫ってくる。
こういう日本語を「発見」することはできても、リアルに生み出すことが難しい時代。もし生み出せたとしても、スマホの指先からではないんだろうなという気はする。