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それ以外のことが気になる体質について

なんとも形容しがたいのだけど、そうとしか言いようがない。それ以外のことが気になってしまう体質なのだ。

それ以外のことというのは、概して「どうでもいいこと」だ。目の前の事象とはほとんど関係のない些末な何か。

大人になってから、なんか変だなと思うこともあったけれど、物心ついたときからそうだった気がする。

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たとえば今年は、よく台風がやってきた。すると必然的にメディアでは“台風情報”が増える。とくにテレビは台風がコンテンツになってくる。

四国なら足摺岬や室戸岬。東海や関東でいえば静岡県の御前崎や石廊崎あたりの地名は登場回数が増えるので、僕は子どもの頃からその場所に親しみすら感じてしまっているのだ。

一応、断っておくと僕はメディアの台風情報が無用だと言ってるのではない。台風情報によって警戒と備えをして減災につなげる役割があるのは言うまでもない。けれど、そこに意図しない何か、つまり「それ以外のこと」が入り込んできて気になってしまうのである。

台風情報では、決まって現地からの台風中継によって臨場感が煽られる。

だからなのか多くの視聴者が生活する場所とは何の関係もなくても、テレビの記者やレポーターはこうした岬の突端や漁港の防波堤近くに立って、暴風雨の中で絶叫しなくてはならないのだ。

スタジオからは決まって「それでは今後も気をつけて取材を続けてください」というエクスキューズが入る。そこで世界は閉じられる。

僕が気になるのは、その後の現地スタッフたちだ。

またスタジオから呼び出されるまでの時間、彼らは何を思うのだろう。人間はたいていのものに慣れてしまう。いくら暴風雨にさらされようと、彼らにとっては、それは最早、特別なことではなくなってしまう。

これ以上、風や雨がどうなろうと、そんなことより昨日の夜から一人暮らしの部屋に置いて来た保護猫の心配をしているスタッフだっているかもしれない。

あるいは人気のない漁港の片隅に、水揚げされない魚を捜し求めに来た、び
しょ濡れの哀れな親子連れの猫に心を奪われて、その姿をオンエアしたいと考えているスタッフもいるかもしれない。

けれど、そうした「それ以外のこと」は決して台風情報の中で流れることはないのだ。そのことを考えるとき、僕の心は鉛色に沈む。