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2020年4月の記事一覧
動画時代のテキストの価値
世はまさに動画時代だ。おまけに、こんなことになってオンライン配信が咲き誇ってる。おかげで、え、あの人がこんなの流してる!? みたいな機会も増えた。
そんな中で、いまだに長文テキストだけ勢(たまにサークルでラジオは配信するけど)の自分としては「・・・」なこともある。
というか、もはや「ネット=動画と短文のSNS」。いまさらだけど。
10代でいえばネット利用の上位3項目(平日1日に何に何時間使う
観察、考察、洞察の違いって何だろう?
ちゃんと見てるのか? ほんとにちゃんと見たの?
何か問題が起こったとき、当事者同士のあいだでよくそんなことばが飛び交う。
もっとちゃんと見てたらこんなことにならなかったんじゃないか、見てるつもりで見てなかったのでは? 見る場所、間違ってたんじゃない? などなど。
誰だってあると思うし、僕にだって覚えがある。
まあ、見るって何気ないことだけど実は難しい。どうしたら「ちゃんと」見れるのか。
Zoomミーティングは帰り道がない
誰かのツイートで見かけてうまいこと言ってると思ったのだけど。
いまZoomとか使ってオンライン飲み会よくやってるじゃないですか。あれ、好きな人はすごく楽しいらしくて結構満足してる。
僕は参加したことない(その時間にリソースが残ってない……)んだけど、ちゃんとオンラインでも酔える。お酒飲むから当たり前か。それにアルコール入ってるから脳内補正が働いて、あんまリアル飲み会と境目がなくなるらしい。
経験の下書きを持つこと
これを言ったらおしまいという(ほど大げさでもないけど)言葉のひとつに「時間がない」がある。
時間貯蓄銀行に預けた覚えもないのに、とにかくない。
いまの状況で物理的に移動する時間は確実に減ってるから、本当はその分の時間の余裕が生まれてなければおかしい。どこに消えたんだろう。
けどまあ、ないものを「なぜ」「どうして」言ってても仕方ない。それで時間が増えるわけでもないのだ。
わかった。時間がない
こころのマスクの作り方
日常が遠い。ふつうに何も考えず空気を吸ってた日常と、こんなに距離を感じるようになるなんて。
まあ仕方ないなと思って、いろいろ自分にできる範囲で乗り切ろうとしながらも、不意に「何かが来て」しまうこともある。日常が変質してしまってる中に自分が晒されたりして。
もちろん、この状況の中、職業として、あるいは職業をある意味超えて闘ってる世界中の人には頭を下げて祈るしかない。
できることは、少しでも自分
世界は鯛焼きのしっぽでできている
以前、ちょっと意識して「そのままを見る」練習したことがあった。
動物園で何も考えずに象の動きを見つづけたり、職人さんが流れるように手を動かすのに見とれたり。けど、目の前にある何か、人、なんでもいいんだけど「そのまま」を見るって簡単そうで難しい。
って、よくわからないですよね。たとえば、こういうの。
僕の目の前に猫様がいるとする。その猫様が、ちょっと目を離した隙に僕が買ってきて食べようと思って
不安なときほど「自分のためだけ」をするといいと思う
不安になることないの? 最近よく聞かれる。
たぶん、周りからあまり不安そうに思われてないんだろう。もう少し不安そうにしたほうがいいんだろうかと逆に不安になる。ならないけど。
そもそもなんだけど「不安」っていうのが、僕自身よくわかってない。いや、意味はわかるよ。この先どうなるんだろうとか、もしこんなことになったらどうしようとかだよね。
みんなが言ってることもわかる。手に負えなさそうなことが自分
「反応」するんじゃなく「考えよう」
最近、ネットが疲れるという話を聞く。まあ、ネットと言ってもスマホが疲れるも同義なんだけど。
センシティブな話が何年分だよというぐらい押し寄せて来て、何か気が急かされたり、重苦しくなったり困惑したり。
だからなのか、意図的にネット見ない離れるという人もいる。それもわかる。
けど、生活的にも仕事的にもあれこれで離れたくても離れられないのも現実。否応なくライフラインになっちゃってるから。
ネット
野菜つくると気持ちの自給率が上がる
こういうことは無責任に書いては駄目なんだと思う。わかってる。だから独り言。もごもご。
なんとなくだけど「その日」が近いんだなと思ってる。もう仕方ない状況になってきてるから。
いまさら何かを糾弾しても意味ないし、メタ的にみればそれも自分たちが選択してきた結果でもあるし。
で、その日からいつまで続くかわからない日々を受け入れて暮らしていくにはどうしたらいいのか。
数々の歴史が教えてくれるのは「