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「ありのまま」が嫌だった
私は自分が嫌いです。
すごくすごく嫌いで、否定し続けていました。だから、アンテナも自分を否定する言葉を追い求めていたように思います。
「自分」という存在がものすごく怖くて汚くて、ぐちゃぐちゃで、泥みたいな存在だと思っていました。
こんな自分を好いてくれる人なんて稀だ。
こんな自分を好いてくれる人は異常者だ。
と、本気で思っていました。
ちまたにある「自己啓発本」
こんな自分をどうにかしたくて足掻いたこともあります。
でも、どの本にも「ありのまま」を受け入れてみてね。とか、「起こらないことを不安にならないように」とか。
知ってるわ!となるものしか無かった。
ありのままが嫌で嫌で仕方なかったんです。だって、私が私を生きることがこの上なく嫌悪していたから。
今なら分かります。
ありのままの本当の意味が。
しかし、当時の私にはどうしても分からなかった。理解出来なかったんです。
だって、ありのまま恐怖症だったから。
「自分」のまま生きるのがとてつもなく怖かったから。
「HSP」という言葉が広がって言った時、当時の勝手に信頼していた人から「これお前じゃねーの?」と言われて見せられた本がありました。
そこで、初めて「HSP」を知りました。敏感すぎる性質。この馬鹿みたいに生きづらい性質に名前があったんだ。って、最初はほっとしました。ひとりじゃないということ。大好きな小説の一節にあった、「白い羊の中にいる本当は真っ黒な羊なのに白を演じているような羊」のような生きた心地がしなかったから。本当に安心したんです。
でも、しばらくしてハッと気づくんです。これはHSPの性質なの?それとも私自身の言葉なの?って。
私は昔から「正解」を欲しがる人間でした。正しいことをなんの疑問を持たずに「正しさ」だけを信じていました。いわゆる学校では優等生、外を出たら劣等生みたいな感じです。
無理やり枠に入りたがってしまうんですよね。HSPの枠組(自分が作った)の中に自分を擦り寄せようとしてしまうんです。
そうしたら、安心したはずのHSPの性質が、見事にこんがらがってしまって。
私はどこ?だれ?なに?
と混乱してしまいました。
ありのままを否定し続けた結果なのかも知れません。でも、心の底では小さな私が叫んでる。「ありのまま」でいたいと。
「普通」を強いられて、「普通」に縛られていた。普通になりたかった私。でも、私は普通じゃなくて。
ありのままの自分を出したらみんな消えていってしまうんじゃないかって怖かった。人に否定されるのが怖かった。
だったら、出来損ないでいい。と自ら選んだはずなのに。
その道は苦しくて、辛くて、弱音も吐けなくなってしまった。
結局、どう足掻いても私がわたしを出さないうちに、友人なんてほとんど居なくなってしまったけれど。
私は私を出したい。叫んでいる。
私はありのままの自分を解放したいんだ。
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