年末年始と世界平和と。

もう2018年もあとわずか。

太陽暦できめられた、暦で生活し、生まれた時からなんの疑問もなく、毎年365日で、過ごしてきたけれど。よくよく考えたら、別に365日単位でなくてもいいのではないかなとおもったり。365という単位だとしても、次の割り振りを変えて、春夏秋冬がうまく巡るように割り振ったら、異常気象と言われる昨今の気候も、意外と自然に感じられるのではないかとおもってみたり。問題の根本はそこではないので、各方面の反対意見は出てきそうです。

毎年この時期はこんな風なことを考えるのは、あぁ、今年も終わりかぁ、とか、来年はいい年になったらなぁとか、自分のタイミングで生きていきたいけれど、世界が決めた単位で無意識に区切りや振り返りをしてしまうから。季節の挨拶だったり、年末年始のお休みだったり、大事にしたいこともあるから、いいんですけどね。いいんです。

ふと長崎の年越しを思い返すと非常に賑やかだったなぁとおもいます。お盆もそうですが、しっとりとしめやかになんて雰囲気はあまりなかったようにおもいます。

これは家庭にもよるとかもしれないけれど、シロキの家では、とにかく豪華でした。主に食的な意味で。年越しそばを食べる時、大体にお刺身の盛り合わせ、カニの爪、くじらなんかが出てくる。刺身も少しではない。大皿に山盛りだ。シロキの家では、あの大皿はお刺身か、皿うどんかでしたつかわなかった気がする。

年があけると、お雑煮とおせちだ。お雑煮はよく地域性が出るといいますが、長崎は、長崎の中でもかなりかわる。シロキの家は父方の流れでかなり具沢山。母方の祖母のおうちにいくと具は3つくらいだった。その母方の祖母のお雑煮が美味しかった。料亭かと思う上品さ。あご出汁のすまし汁におもち、小さめの白身魚の切身に、唐人菜がちょんっと乗っている。本当に上品で口いっぱいに香りが広がる。

長期の休みがあけると、友達はよくおじいちゃんおばあちゃんの家に行ったと言う。お正月なんてまさにうってつけの時期。ただ、僕にはそれは無縁だった。父方の祖父母と住んでいたし、母方の祖母は小学校挟んで反対側に住んでいた。めちゃめちゃ近い。しかも親戚のほとんどが長崎に住んでいる。お正月は、起床、お屠蘇、雑煮、おせち、お墓まいり、諏訪神社、母方の祖母のおうち、家で親戚が集まるというのを繰り返していたし、何せ無駄に豪華なもんだから準備も大変で、僕はいつもお手伝いをしていた。兄は何もしないのに。恨み言だ。

親戚が集まっても僕は料理やお酒を運ぶ。片付けも手伝う。席もそうだ。上座に祖父母がいて、一番下座が、僕と母だ。格差社会だった。

でもいいのだ。僕はお雑煮の自分の好きな具は多めにいれたし、お刺身だってつまみ食いしていた。白米が好きで、白米も勝手に自分の分だけ炊いていた。お茶碗に赤飯と白米をハーフアンドハーフで載せるのだ。ピザがハーフアンドハーフを始めるよりずっと前に、僕はやっていた。しかも独り占めだ。だって、白米は僕の分しかない。一合炊くが、昼と夜の僕の分だけしかない。ふふん。

そうやって食意地がどんどんはっていったのだ。正月は天国だ。食べ物もたくさんある。餅も食べられる。お刺身もたくさんだ。しかもなんの労働もなしにお年玉がもらえる。すごい。これこそ無償の愛だと思う。世界の宗教は日本のお正月を、学ぶべきだ。これこそが世界平和の真髄だ。

お正月でかけたり遠出はなかったけれど、お腹いっぱいの美味しいものと、親族一同からのお年玉、僕の心は毎年地球規模の幸せで満ちていたのだ。

#エッセイ #長崎 #年末年始 #年越し #平和 #愛

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