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クリスマスに・・・

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 12月24日の夜、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂でイエス・キリスト降誕を祝うミサが行われた。昨年は参列者を最小限に絞り、オンラインでの中継をメインとしたため、大勢の聖職者、外交団、一般信者らが参列してのクリスマス・ミサは2年ぶり。カトリック教徒にとって1年で最も重要な日のひとつであるという華やぎに加え、やはりこの場にこうして集えるという喜び、それも信仰上の「喜び」以上にもっと単純なワクワク感のような喜びが、大きな聖堂を満たしているように感じられた。
 そういう私も、ここでクリスマスのミサを授かるのは初めて。聞き馴染みのある“Noel”(ノエルをばはじめに)の合唱に入ると、自然と厳かな、と同時に何か高揚するような気分に満たされた。

 クリスマスのミサというのは、今さらながら簡単にいうと、ベツレヘムという地に、あの輝く星の下に今夜、マリアとヨセフという夫婦に救世主となる神の子が産まれました、というキリスト教のいわば根源の部分を、聖書に記された文言に従って再現し、祝う、というもの。
 全体の進行と教皇による祈りの言葉はラテン語、教皇自身の言葉はイタリア語。また、信者による聖書の言葉の引用及び祈りの言葉は、イタリア語、ポルトガル語、英語、フランス語、中国語、アラビア語など。手元に配られた式次第には、全文の他、英語・イタリア語の翻訳がついていた。
 現在のカトリックの儀式は、極めてシンプルでわかりやすい言葉を使っているのが特徴といえよう。最もそれはキリスト教がもともとそうだった訳ではなく、長らく神の言葉は、学のある聖職者のみが理解できるものとされていたのだが、今は、少なくともイタリア語や英語は、平易な言葉が使われている。
 だから冒頭の「ノエル」も、そのまま言葉が入ってくる。
カトリックの教会の中で、壁から天井から、モザイクやフレスコ、油彩と手法や様式は変わっても隙間を埋めるように繰り返し描いてきたキリストの誕生の物語が、こうして式の中でもまた、言葉と歌と、声と音楽で再現される。大聖堂は、美しい声を高らかに響かせる最高のホールであると同時に、また視覚的にも文字通りの劇的空間である。教皇の純白の礼服、赤い葉のポインセチアで飾られた祭壇、クリーム色の上衣に赤い帽子の枢機卿たち、黒の礼服の外交団、そして要所要所に立つ、例の、黄色と青のシマシマのスイス衛兵ら・・・。
 うやうやしく、そろそろと幼な子イエス(のもちろん人形)が運ばれてくるところや、その赤子の人形に教皇がそっとキスをするところは、残念ながら私の席からは見えなかったものの、最後に「聖しこの夜」が響いた時には、何かほんとうに特別な美しい夜に立ち会ったかのような、晴れやかな気持ちになったのだった。

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 翌25日は、正午に教皇が聖ピエトロ大聖堂のファサード中央のテラスから「ウルビ・エト・オルビ」のお言葉が発せられた。かつて、キリスト教がローマ帝国で宗教の一つとして公認された紀元後4世紀から大きく発展を遂げたのは、ローマ帝国が使用していた行政システムをそっくりそのまま模したからと言われるが、これもその名残りの一つ。ローマ皇帝が、「首都ローマと全世界へ」(Urbi et Orbi)属州を含む全国民に発していたメッセージのよびかけの言葉が今では教皇から信者及び全世界の皆さんへ、という意味をこめて使われている。

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 24日のミサの中で教皇フランチェスコは、「仕事で命を落とすことがあってはならない」と訴えた。今年、イタリア国内で何度も、何人もの方が業務中の事故で亡くなった。つい数日前にも、トリノでクレーンが倒れ、50代2名と20歳の、3名の作業員が亡くなったばかりだった。まさかクリスマスを前にそんなことが起きようとは・・・本人やご家族の驚きと悲痛は想像に絶する。しかし、その無念は悲しみはこの3名に限ったことではない。
 一方で、25日には教皇は、世界各地で天災や紛争、飢餓や暴力に苦しむ人々へ想いを寄せた。繰り返し口にされている言葉だが、こうして改めて耳にすると、自分が健康で衣食住に満たされている幸運を思う。せめてほんの少しでも、誰か人の心を軽くするのに役に立てればいいのだけど・・・。

#ローマ #エッセイ #バチカン #クリスマス #クリスマスミサ #イタリア  
12.29.2021



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