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着物の聖母

 ローマから60kmほど北にあるチヴィタヴェッキアという町に、和装姿で描かれた聖母子像がある。
 ローマ郊外の港町チヴィタヴェッキアと日本の関係は、400年前に遡る。仙台藩の伊達政宗により派遣された、慶長遣欧使節として知られる支倉常長一行が、メキシコからスペインを経由し、ローマを目指して上陸したのがこのチヴィタヴェッキアだった。
 16世紀末に長崎で殉教した26名が、1862年に教皇ピウス9世により列聖、つまり聖人に認定されると、元々フランシスコ修道会教会であった同教会は、1864年に日本聖殉教者教会と命名され、彼らに捧げられることとなった。常長の来訪から250年も経ってから、鎖国のためにすっかり縁も薄くなっていたというのに、ここで「日本人殉教者」にあえて献堂したのは、どういった事情だったのだろう。

チヴィタヴェッキアの日本聖殉教者教会

 鉄道駅から徒歩5分くらい、海岸と、海岸線に沿って走る道路に挟まれるように日本聖殉教者教会は建つ。
 中に入ると、正面アプシスに大きく描かれた聖母子像が目に入る。背景は明るいブルー。光背を背負い、頭から被った白いベールが、肩から腕、そして全身を覆っている。その衣の下に身につけているのは間違いなく着物。鮮やかなトルコブルーの地に金色で丸紋が規則正しく並んでいる。左腕に抱かれた幼児イエスは、これも十字つきの大きな光背を背負っているものの、白地に金彩の着物に赤い袴姿で、完全に日本の稚児。何より、母子ともに切長の目の、すっきりとした表情が印象的だ。

着物の聖母子

 教会自体が比較的新しく感じられるのは、1864年当時の建物は第二次世界大戦中に爆撃を受け崩壊したため。戦後に建て直された教会を装飾するにあたり、1950年にバチカンで開催された万国布教美術展に参加していた画家・長谷川路可に白羽の矢が立った。路可が選ばれたのは、フレスコ画に彼が長けていたためであることは間違いない。漆喰が生乾きのうちに顔料を入れて描いていくフレスコ画という手法を、路可は戦前からフランスやイタリアで習得していた。
 
 背景を一切省いたニュートラルな青の空間に、聖母を挟んで2人の聖人が立つ。面白いことに、その外側には、支倉常長の姿も描かれている。常長はローマで名誉市民の称号を得たとはいえ、聖人ではない。それが、この街の守護聖人と対峙する位置に立っている。

向かって左端に支倉常長が・・・。


 縁の下には、ガラスのモザイクで「日本聖殉教者」と日本語で示され、さらにその下の壁には、二十六人らが信仰を守るために死に追いやられた、そのエピソードが5場面にわたり描かれている。

二十六聖人殉教図。詳しくはまた別の機会に。


 真正面を向き、こちらを静かに見下ろす聖母は、イコンなど東方教会の聖母子を思わせる。実は、後で写真を見ながらはた!と気がついたのだが、この聖母子像は、ヴェネツィアのトルチェッロ島にあるサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の聖母子と、よく似ている。

ヴェネツィア、トルチェッロ島の聖母子、写真はWikipediaより

 10頭身くらいの高身長、まるで重力を持たないかのようなイエスを片腕に抱え、不自然なまでに直立する姿、光背の大きさ、右腕、左腕のそれぞれの位置、色こそ異なるものの、頭から足元近くまで長く下がるベール、そして宝石の散りばめられた台座に乗っている。金地に浮かぶヴェネツィアの聖母は、ガラスの小片を埋めて描いたモザイク画。これが制作された12世紀のビザンチン様式では当たり前の、つまり標準型の聖母子像だが、着物の聖母は、なぞったかのように同じ構図を貫いている。金のレースのベルトの代わりに垂れる帯、そして宝石こそ散りばめられていないものの、畳のような台座に乗っているではないか!
 長谷川路可がこの後陣の絵を手がけたのは、1951年から54年にかけてのことだが、特に聖母子の天井部分に関しては、「長谷川路可画文集」(1989年、求龍堂)の年表によると1954年の2月から10月の間。また、後日、芸術新潮に本人がエッセイを寄せているように、1952年、54年、及び56年に、ビエンナーレ国際美術展見学のため、ヴェネツィアを訪れている。残念ながら、このフレスコ画のためのスケッチなど資料は、それを積んだ船が沈没し残っていないという。だが、フレスコ画のみならず、モザイク画についても学んでいた路可が、ヴェネツィアを訪れて、モザイクの名所であるサン・マルコ大聖堂はもちろん、折を見てトルチェッロ島も訪れていたとしても不思議はないし、金地に浮かぶ美しい孤高の聖母子を見て、モデルにしたことは十分に考えられるだろう。

ヴェネツィア、トルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂

 イタリアの教会で唯一、着物姿で描かれた聖母子像が、ヴェネツィアに縁があると思うとなんだかちょっと嬉しい。

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05.08.2022


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