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もうひとつのウエノ、『JR上野駅公園口』、柳美里・著

 JR上野駅公園口。・・・私にとってそれはずっと、何かしら楽しみの同義語でしかなかった。演奏会や舞台を味わう東京文化会館。数々の美術館。・・・もう何年も行ってないけれど、言わずもがなの動物園。お花見に精養軒。
 そんな「わたし」もちらほらと登場する。幻影のように。虚構のように。

 そうだ、そういえば、上野駅といえばかつて、ちょっと「怖い」エリアがあった。ブルーシートや段ボールで辛うじて人一人ずつのスペースが囲まれたその隙間から、皺の深い煤けたような手か顔が見えることがあって、いや、あえて見ないように、気づかないようにして足早に通り過ぎていた。そういえば、いつの間にかそんなエリアがなくなって「キレイ」になっていた。・・・そこで暮らしていた人たちは、どこへ行ったのだろう?誰もがみな、仕事や住まいを見つけて去って行ったのだろうか・・・。

 同じようにこの地球の上で生を受けて、ただ、たまたま「運が悪かった」だけ。戦争のさなかに生まれ、多くの兄弟姉妹を養うために、家族を養うために出稼ぎに出る。たまたま一人だけ極め付けに運が悪かったということではないかもしれない。いやむしろ、こうしてさまざまな苦労を重ねてきた人は、この日本に限ったところでたくさんいることだろう。その境遇をことさら嘆くわけでもなく、悪事に身を落とすわけでもなく、ただ生きるために、家族のために働いてきた男。ようやく報われるかというところでまた不幸のどん底に突き落とされる。ただがむしゃらに生きてきただけなのに。
 現在の上皇陛下と同じ年に生まれ、同じ年に長男を設けた一人の男が、その当時の天皇陛下の行幸に伴い、暮らしていた上野公園から一斉に一時退去を余儀なくされる。決して平坦ではない彼の人生のまたその果てには、震災と津波という途轍もない不幸がまた立ち現れるのだった・・・。

 全米図書賞受賞のニュースを聞いて、慌てて手に取った本。特異な日本事情が幾重にも積み重なっているようなこの小説が、アメリカでそれだけ多くの支持を得たというのは、とても興味深い。「翻訳文学部門」で、日本文学としては多和田葉子さんの『献灯使』に続いての受賞とのこと、多和田さん、惜しくも受賞は逃したものの「英国ブッカー国際賞」にノミネートされた小川洋子さんといい、日本の、それも女性の作家さんの作品がこうして次々と翻訳され、外国でも読まれているのは単純に嬉しい。柳美里さんの本は、イタリア語にも既にいくつか翻訳されているはず。この本も早いうちにイタリア語でも読めるようになったらいいなと思う。

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JR上野駅公園口
柳美里
河出書房新社
https://web.kawade.co.jp/bunko/3906/

#JR上野駅公園口 #柳美里 #河出書房新社 #エッセイ #読書 #全米図書賞
Fumie M. 02.21.2021


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