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「パサージュ論(1)」 ヴァルター・ベンヤミン

今村仁司・三島憲一 他 訳  岩波文庫  岩波書店

以前、岩波現代文庫で出ていたのと同内容らしい
電子書籍(kindle)で購入(だから読みがいつも以上に貧弱(笑))


「パリ-十九世紀の首都」

 そうした都市の人間がこのパノラマによって田舎を都市の中に取り込もうとしているのである。都市はパノラマにおいて郊外の田園風景へと拡大する。のちにはもっと繊細な仕方でだが、遊歩者に対して都市が田園風景となるのと同じである。


だって…続き読みたいよね…5巻仕立てだよ。
(2022 12/28)

とりあえずハイライトしたところを

 グランヴィルの幻想的作品は宇宙までも商品の性格をもったものにしてしまう。この幻想的作品は宇宙を近代化する。土星の輪は鋳鉄でできたバルコニーに変質し、土星の住人たちは毎夕そこで涼むことになる。


「土星の輪」といえばゼーバルト…はたぶんここから。その他ソンタグも。

 住むということは、痕跡を留めることである。室内ではその痕跡が強調される。覆いやカバー類、容器やケース類がふんだんに考案され、そこに日常ありきたりの実用品の痕跡が残る。居住者の痕跡も室内に残る。この痕跡を追跡する推理小説も生まれてくる。『家具の哲学』と幾篇もの推理短篇でポーは室内の最初の観相家であることを実証している。最初の推理小説の犯人は、上流紳士でもなければ無頼漢でもなく、市民層の私人である。


こちらはギンズブルグの「徴候」時代論。

 一六世紀に科学が哲学から解放されたように、一九世紀にはこの生産力の発展のために、造形の諸形式が芸術から解放されたのである。口火を切ったのは、技師による構造物としての建築であり、これに写真による自然の再現が続くことになる。空想の産物が商業グラフィックとして実用的なものになる兆しが見え始める。文学は新聞の文芸欄にふさわしい形に切り刻まれる憂き目を見る。こうした生産物はすべて、商品として市場に出ようとしているが、まだ敷居のところでためらっている。パサージュと室内空間、博覧会場とパノラマ館はこのためらいの時代の産物である。それらは夢の世界の残滓なのである。目覚めるときに夢の諸要素を活かすのが、弁証法的思考の定石である。それゆえ、弁証法的思考は歴史的覚醒の器官なのである。というのも、いつの時代も、次に続く時代を夢見るものだが、それだけでなく、夢見ながら覚醒を目指して進むものだからである。いつの時代も、己の終焉を内に秘め、その終焉を──すでにヘーゲルが認識しているように──狡智をもって実現する。商品経済が揺らぎ始めるとともに、ブルジョワジーの打ち立てた記念碑は、それが実際に崩壊する以前にすでに廃墟と化しているのをわれわれは見抜き始めている。


「ためらっている」ってのが泣かせる。突き抜けて極北に至った現時点から見れば。
(2022 12/29)

 芸術の最後の防禦線が商品の攻撃の最前線に一致していることは、ボードレールには見えない定めだった。


波が打ち寄せる最前線が、芸術と商品経済の境目のようなイメージ? いや、浜辺というより滝壺?

とりあえずここまでで、ベンヤミンが公にした論考の「パリ-十九世紀の首都」(フランス語、ドイツ語双方)が終わり、この先は、ベンヤミンが集めたり書いたりした資料集(それが文庫で4巻と半巻分…)
(2023 01/05)

A:パサージュ、流行品店、流行品店店員

 パサージュの倉庫が百貨店へと発展すること。百貨店の原理。「各々の階がいっしょになって一つの空間を形づくる。それは《いわば一目で全体が見わたせる》のだ。」


前の箇所には、パサージュが発展して百貨店になった、というのは誤解で別物という記述があった。百貨店に至るのは「倉庫」であって、パサージュそのものではない。そしてその百貨店の原理は一望監視?施設パノプティコン。
(2023 01/06)

 商売と交通は街路の二大構成要素である。ところで、パサージュにおいては後者の要素は死に絶えてしまった。交通はパサージュに痕跡としてしか残っていない。街路は商売に対してのみ色目を使い、欲望をかきたてることにしか向いていない。こうした街路では交通という体内循環が滞っているため、商品がパサージュの両側の縁にはみ出し、ちょうど潰瘍にかかった生体のように独特な結びつきを示しているのである。


ひょっとしたら、現在パリのパサージュの多くは、「交通」のみで前者の要素は死に絶えているかもしれない、とも思った。あとは、パサージュから溢れた商品が「潰瘍」に喩えられているのも(まだ理解できてはいないけれど)面白いところ。
(2023 01/08)

最初の百貨店は(アジアの)バザールに似せて作られたらしい。パサージュにはエジプト風のもあったらしいが、ベンヤミンが引いてる文章によれば、ここはあまり流行らなかったらしい。

 消費者が布地の品質の程度を正しく識別できるだろうと言ってはなりません。いいえ、皆様、消費者はそれが見分けられないのです。消費者は、理解できるものしか判断しないのです。
 商品に関する知識が専門化するにつれて、信用が重要な意味を持つようになる。


上の文はシャプダルという人物の演説から。下の文はベルクソンの注釈。物を手に入れる側が、その物自体を自分で品定めしなくなるのはこの時代からか。
(2023 01/19)

 バルザックは、広告の、特に偽装広告の力を初めて見抜いた人の一人である。
 もっと未知のものだったのは、小説中に取り上げるというもっと巧妙な手法である。……バルザックが〔作中に〕選んでいる業者は、……彼の贔屓の業者であると言い切っても間違いの心配はない。……『セザール・ビロトー』の作者ほど広告の無限の力を見抜いていた人はいない。……意図を疑って言うのであれば、……彼が、自分の使っている業者やその品物に付けている形容語をあげてゆくだけで歴然とする。彼は恥も外聞もなく次のように書き記す。有名なヴィクトリーヌ、名高い理髪師プレジール、今の時代のもっとも有名な仕立て屋のスタウブ、ラ・ミショディエール街の(住所まで書いている)高名な靴屋のゲー、……「パリにおいて……すなわち世界において一番のレストラン……ロシェ・ド・カンカールの料理」。
元の出典はクルゾ、ヴァランシ「人間喜劇のパリ」(1926)


(そんな記述ありましたっけ?(p171の広告文集辺り?) これは要調査だな)
アイスランドの苔とか楽しい表現多いし、今年はバルザック1作読みたいな。(後注:結局読めなかったけど…)
あと、別な話で、パサージュ(全部ではないだろうけれど)では、不潔な人、あまりに大きな荷物を持った人、喫煙や、唾やら何やら吐く人は外に退去させられたらしい。
(2023 01/28)

 彼の物語はいつも街路で見た何かの思い出が出発点だった。店舗というのは、おそらくあらゆるもののうちで一番詩的なものだが、これがたびたび彼の想像力をつき動かし解き放したのである。実際、どの店も彼には小説の構想のきっかけとなるのだった。
チェスタートン「ディケンズ」より


というわけで、ここの「彼」はディケンズで、「骨董屋」のことについて述べている。実際の小説では、骨董屋自体は最初しか出てこない…チェスタートンは、「街路」という構想のもと、「パン屋」とか「油屋」とかいう小説書いて欲しかった、と付け加えている。
(2023 02/07)

B:モード

今日からBのモードに入る。
ここでのベンヤミンの原風景は、広場で自転車に乗る練習をする若い女性たち。19世紀末くらいから、女性も自転車とか他の分野に進出し始める時。何故ベンヤミンの精神にここまで印象を与えたのかは、それまでの女性の位置を考えてみればよりわかるのではないか。

 モードとは、女を使った死の挑発であり、忘れえぬかん高い笑いのはざまで苦々しくひそひそ声で交わされる腐敗との対話にほかならない。


この文章(またこの項目)の取り方がよくわからない、のだけど、惹かれるものがある。
(2023 02/09)

 同じような問題は、生活に今までとはちがったリズムをもたらした新しい速度に関しても起きてきた。この新しいリズムも、最初は多少とも遊び半分で試されたのである。ロシアの山〔ジェットコースター。ロシアのそり遊びに由来する〕が登場し、パリの人々はとりつかれたようにその楽しみをむさぼった。一八一〇年頃にある記録者の記しているところによると、ある婦人が夕方、当時この空中乗り物のあったモンスーリ公園で、いくどもそれに乗って七五フランも浪費したという。新しい速度は予想もしなかったような形で現れることが多かった。たとえばポスターである。「一日だけの、また一時間だけのこうしたイメージ。驟雨に洗われ、浮浪児たちの手で真っ黒に汚され、日の光に焼かれ、ときには糊が乾く前に他のイメージをその上に貼られてしまうこうしたポスターたちは、われわれを押し流していく速度の生活、激動の生活、多様な形態をもった生活のあり方を新聞よりももっと強く象徴している。」モーリス・タルメール『血の都市』パリ、一九〇一年、二六九ページ。ポスターが登場した初めの頃は、ポスターの貼り方やポスターの保護や、ポスターを貼られないようにする方策を決めた法律はまだなかった。それゆえに、ある朝起きてみると窓がポスターでふさがっていたこともあった。センセーションを求めるこの不思議な欲求は、昔からモードにおいて満たされていた。しかしその真の原因については、神学的な研究のみが明かすことができる。なぜならまさにその欲求は、歴史に対する人間の深い情動的態度を語り出しているからである。もしかしたらこのセンセーションへの欲求は七つの大罪の一つに加えられるかもしれない。それゆえに記録者が、いつの日か人間は過剰な電光で盲目になり、ニュースの伝達があまりに速いために気が狂ってしまう時がくるだろうという黙示録的な予言をしても、別に驚くことはない。(ジャック・ファビアン『夢の中のパリ』パリ、一八六三年より)


速さ、より量という気がするが、予言は半ば当たっていると思う。というか、朝起きたら窓全てにポスター貼ってあったという方が怖い…
あと、ジェットコースターはロシア由来なのか…
楽しくSF要素あってかつ重要な内容なので、断章全てコピペ…
(2023 02/12)

 芸術は絶えざる断絶という法則に従うことを強いられることになった。大胆さが一人歩きする事態が生まれたのである。かつて伝統が至上命令であったように、大胆さが至上命令となった。


ポール・ヴァレリー「芸術論」より。
(2023 03/15)

C:太古のパリ、カタコンベ、取り壊し、パリの没落

 シュルレアリスムの父がダダだとすれば、その母はあるパサージュであった。このパサージュと知り合ったときには、ダダはすでに年を取っていた。アラゴンとブルトンが、モンパルナスとモンマルトルとに嫌気がさして、友人たちとの会合の場所をパサージュ・ド・ロペラのとあるカフェ〔カフェ・セルタ〕に移したのは、一九一九年も終わりになってからのことだった。そのパサージュ・ド・ロペラも、ブールヴァール・オースマンがそこを通ったためになくなってしまった。ルイ・アラゴンは、一三五ページを費やしてこのパサージュのことを書いているが〔『パリの農夫』図 2〕、このページ数の各桁数字の和のうちには、まだ駆け出しのシュルレアリスムに贈り物を与えた詩神たちの九人という数が隠されている。


柿木伸之氏の「ベンヤミン-闇を歩く批評」に、ベンヤミンがパサージュ論を書くきっかけとなったのが、アラゴンの「パリの農夫」だったと記述があった。アラゴン、まだ触れたことないのよね。
(2023 04/06)

D:倦怠、永劫回帰


倦怠の項から引用…

 われわれが倦怠を感じるのは、自分が何を待っているかがわからないときである。何を待っているかがわかっているのは、あるいはわかっていると思い込んでいるのは、ほとんどの場合が浅薄さの現われか、精神の混乱の現われである。倦怠は偉大な行為への敷居である。


ほんとかな…もう一箇所。

 時間の裏地を一気に表側にかえすことなど誰にできようか。ところが夢を語るというのは、まさにそれをすることなのだ。そして、パサージュについてもそのように扱うほかない。パサージュはそのなかでわれわれが、われわれの両親の、そして祖父母の生をいまいちど夢のように生きている建築物なのだ、ちょうど胎児が母親の胎内で、動物たちの生をいまいちど生きているように。こうした空間のなかの生活は、特に何のアクセントもなく、夢の中のできごとのように流れていく。


何も言うことはありません…
(2023 06/07)

 永遠回帰の思想が生じた時期は、自分たちが作り出した生産秩序の今後の発展をブルジョワジーがもはや正視する勇気を持てなくなったときに当たる。


これもほんとかな…
時代的には合っている気がするのだが…

 ツァラトゥストラの代わりにカエサルがニーチェのこの教説の担い手になっている草稿も存在している(レーヴィット、七三ページ)。これは重要である。それは、ニーチェが自分の教説が帝国主義とどこかで共犯関係にあることを感じていたことをよく示している。


へー…
ニーチェと帝国主義なんてわんさと論文ありそうだな(笑)
(2023 07/03)

E:オースマン的都市改造、バリケードの闘い

 パリの人にとって、喫煙したり、話しこんだりする一種の遊歩場兼サロンだったパサージュは、雨が降り出すと急に思い出してもらえる一種の避難所でしかない。いくつかのパサージュは、そこにまだあるあれやこれや名の通った商店のお陰で、ある程度の魅力を保っている。しかし、場所の人気というか、場所の臨終を長引かせているのはもっぱら店子の知名度である。


Eの章に入った。
この文章は1895年のパリを描いたものからの引用。この頃には既にパサージュはかなり下火になっていたのがわかる。そしてベンヤミンはこうしたパサージュから何を読み取ろうとしているのか、自分にはまだわからない。
(2023 07/25)

 「都市の再建は……中心から外れた区に住むことを労働者に強いて、それまでブルジョワとの間にもっていた近隣関係の絆を断ったのである。」


今からすれば、ブルジョワと労働者がある程度仲がいい?(関係性がある)のに驚く。せいぜい150年くらい前。
あと他には、ル・コルビュジェの著書への言及もあって、そこではル・コルビュジェはオースマンに対してかなり批判的。都市計画とは言えない独裁性、とか。
(2023 07/29)

同じくル・コルビュジェから

 オースマン男爵は、パリをもっとも幅広く切り裂き、もっとも無遠慮に瀉血をおこなった。パリはオースマンの外科手術に耐えてゆけないだろうと思われた。ところが、今日になってパリはこの果敢であり勇気ある男性が成し遂げた事のお陰で生きているのではないだろうか。


あれ、こちらではル・コルビュジェはオースマンに対して好意的?
(2023 08/17)

 「ゾラはこう考えて忽然と立ち上がった。彼は啞然とした。それぞれ自分の所で自分なりの持ち分に応じて一つの帝国をつくってしまった人間たちを表す表現が突如として見つかったのだ。この帝国の生活のもっとも重要な機能としての投機、なりふり構わぬ金もうけ、目茶苦茶な快楽追求、この三つがこれみよがしに見せ物やお祭りさわぎといった形で誇大な礼讃をうける。そうした見せ物やお祭りのさまは次第にバビロンを思わせるほどになっていった。この目をくらませるような富の絶対化と並んで、あるいはその背後には……不気味な大衆がいた。彼らは目覚め、社会の表に押し出てきていた。」ハインリヒ・マン『精神と行為』ベルリン、一九三一年、一六七ページ(「ゾラ」)


とりあえず「獲物の分け前」を思い出させる文章だが、他の小説にも関連あるか?
「一人の帝国」ね。あらゆる帝国が集積した帝国。
あと、これ書いたのがハインリヒ・マンというのもポイント。兄貴読んでないからなあ。結構作家の伝記風なもの多いんだっけ?
(2023 08/24)

 ところが、ますます狭くなった個人の住宅は、狭い芸術を宿すことしかできないということになろう。芸術家にはもう空間がないのである。しかたなく画架で油彩を描き、小さな彫像を制作する。……社会が発展する諸条件のなかで、芸術は空気が不足して窒息するような袋小路に追い込まれている。
(ラヴェルダン「芸術の使命と芸術家の役割」(1845))


居住空間の分割、細分化と、芸術の変容の連動性というテーマも興味深そう。このラヴェルダンという人、19世紀の人らしいが、家の部屋の細分化・孤立化を「監獄制度」から取り入れた…とかフーコーを思わせることも言っていて、ひょっとしたらフーコーの方がこちらを参照したのでは。
(2023 09/15)

 ローマ帝国は末期が近くなるにつれて、記念建造物はふえてゆき、巨大になっていった。ローマは自らの墓を建てつつあり、死ぬために美しく装っていたのだ。しかし近代の世界はといえば、死にたくないのである。そして人類の愚かさも終わりに近い。
(オーギュスト・ブランキ「社会批評」(1885))


このブランキという人物ちょっと気になる。
オーギュスト・ブランキ(1805-1881)
兄は経済学者、彼は社会運動家。パリ・コミューンの時はコミューン側の大統領に選任されたとか。バクーニンやレーニンにつながるプロレタリア独裁を説いた。
(2023 10/13)

 ある大陸から別の大陸へ渡ってゆくような気がしたものだ。パリにおいて、別々のいくつもの小さな町──学生の町、商業の町、奢侈の町、隠居の町、庶民的な活動と快楽の町──が形成されていたが、それでいて相互に、一連のニュアンスと中間の過程によってつながっていたのである。どこにも同じく幾何学的であり直線的な道路──これは、一里先までのパースペクティヴとして、常に同じ家の列を延長させる──を通すことによって、そういうものを消してゆくわけである。
ヴィクトール・フールネル「新しいパリと未来のパリ」(1868)

列の延長と、差異の消滅、ね。
(2023 10/17)

 旧市街と新市街は、パリ以外の街では一般にそうであるように無関係に併存しているのではなく、パリではそれが一つに溶け込みあっている。
フリッツ・シュタール「パリ-芸術作品としての都市」

ここかなり興味ある。確かにパリにおいては、旧市街とか新市街とか言わない気がする。
(2023 10/27)

F:鉄骨建築

 鉄にある種の不信感が寄せられているのは、鉄が地下から掘り出してそのままに直接使えず、加工材料として手を加えなければならないからである。これは、かつてレオン・バティスタ・アルベルティ(『建築術』パリ、一五一二年、四四巻)が次のように表現したルネサンスの一般感情があてはまる例にすぎない。「なぜなら、自然のままで統合され、統一されている物体の部分のほうが、人間の手によって結合され、組み合わされた部分よりも分かちがたいからである」。
マイアー「鉄骨建築」(1907)

 技術的必然性が建築において(そしてまたその他の芸術において)その形式を、そして様式を広汎に決定するという事態こそは、今日ではこの時代のあらゆる生産物の特徴になっているように見えるが、かつてもまたそうだったのかどうかということは、よく考えてみる価値がある──そして、そのように考えてみれば、以前にはそうではなかったという答えが得られるであろう。


19世紀後半くらいかな。こういう思考の枠組みが出てきたのは。
(2023 11/15)

マイアーが続く
パサージュの建築は「ホール」(元の意は天井があり壁が無い)であり、幅広い空間が必要になってくるとともに発展しものだという。
(2023 11/28)

G:博覧会、広告、グランヴィル

 ヨーロッパ的な視点からすれば事態は次のように見えた。すなわち中世には、そして一九世紀の初めにいたるまでも、あらゆる商業製品にかかわる技術の発展は、芸術の発展よりもはるかにゆっくりとしたものだった。芸術はたっぷりと時間をかけて、技術が提供してくれる方法をさまざまな仕方で利用すべく遊ぶことができた。だが、一八〇〇年をさかいに始まる事態の変化によって、芸術にはテンポが求められるようになり、このテンポが息もつかせぬものになればなるだけ、モードの支配があらゆる領域に波及してゆくことになった。そして、ついに生じたのが今日の事態だ。つまり、技術のプロセスになんとか適応してゆく時間を見つけることが芸術にはもはや許されなくなる、そんな可能性がもう目に見えるものとなっているのである。広告とは、夢を産業に押しつける詭計である。


一断片引用してしまった…
芸術と産業の進み具合の差分がモードなのね。
(2023 12/20)

 言葉を会社名のようにあつかうのが、シュルレアリストたちの作品だ。彼らのテクストは根本において、いまだ創業にいたっていない企業の宣伝パンフレットにほかならない。かつて「詩的」語彙の表現領域のうちに蓄えられていると考えられていた想像力は、今日ではさまざまな会社名のうちに棲みついているのである。

ここも面白い…
(2023 12/28)

 一六世紀にはまだ小さなガラスの窓さえ贅沢であったのに、いまでは一八モルゲンの土地を覆う総ガラス張りの建物を造ることができるのだ、と。


ロンドン万博の建築から。このガラスと鉄骨の建築を実行した(ハイドパークにて)パクストンは、この前にキュー植物園も同様の方式で建てている。西洋建築の歴史は、窓と明かり取りの歴史。ガラスによって広い面積開口できるようになっていく。
(2024 01/22)

 わが世紀は、善へも悪へも向かっていない。凡庸へ向かっている。いかなることにおいても、今日成功を収めるのは、凡庸なものである。


エルネスト・ルナン「道徳と批評に関するエッセイ」(1859年)…だからここでいう「わが世紀」は19世紀、前々世紀。

 ある都市が目に楽しいものであるためには、さまざまな種類の建築群をたくさん含まなければならない。このうえなく異質な趣味同士が、そこで結ばれることができればよいのだが!


こちらはニコライ・ゴーゴリの「現代の建築について」…このゴーゴリってあのゴーゴリ?
(2024 02/15)

 次のように想像してみることにしよう。ある一人の天才的な男が、読者や購買者たちの気をそそるように作られた語を、日常語のありきたりな連続のなかに嵌めこんで使うというアイディアを思いついた。彼はそのためにギリシア語を選ぶのだが、それはギリシア語が、新語形成に当たってつきない資源を提供するのみならず、ラテン語よりなじみが薄く、……古代ギリシアの研究にあまり縁のない世代には、まったく理解不可能であるという利点をそなえていたからであった。……


(フェルディナン・ブリュノ「起源から一九〇〇年までのフランス語の歴史」より)
日本によくある外国の言葉風にして印象づける(商品名、広告、歌詞、等々…)、欧米ではこの効果をどう出すのかな、と思っていたら、ギリシア語だったか…
というわけで?やっと「パサージュ論」第1巻の本文(って言っていいのか…)読み終わり。解説は付いている…
(2024 02/20)

解説(三島憲一)

 マルクスが資本主義の、主として生産構造の側面に目を向けたのに対して、商品とその消費の面に目を向けたのは、ベンヤミンの特徴だ。それもヴェブレンなどが論じたステータス・シンボルによる経済的差異化、すなわち「見せびらかしの消費」の側面ではない。消費で問題となっているのは、アドルノがベンヤミン宛の手紙で繰り返す商品の「神学的」側面である。もちろん、マルクスにも商品のフェティッシュ的性格などの分析はあるが、もっぱら空疎な見かけという負の側面の暴露に集中しているのに対して、ベンヤミンは、いわばその神学的ないし宗教的側面に目を向けている。


この三島憲一による解説ではベンヤミンとアドルノとの関係や比較に焦点を当てている。アドルノにある時はもっと実証的になれと言われ、またある時はそこまでやらなくていいよとも言われ、双方いろいろあったらしい。別のところで、ベンヤミンはヴェーバーの分析をひいて、資本主義が宗教によって導かれただけでなく、資本主義そのものが宗教なのだという考えを示しているともいう。

 引用による破壊だけが唯一の希望である。いくばくかのものがこの時間空間から生き残る──そこから外に打ち出すがゆえに生き残る希望である


ハンナ・アレント「暗い時代の人々」から。アレント自身がベンヤミンの原稿を持ち出して守ったから、この言葉はかなり響く。

 そもそもベンヤミンの哲学は「あったかもしれない、そのつどの別の可能性」の追求に尽きるといってもいい。


第2巻すぐ買う?…
(2024 02/27)

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