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「セザール・ビロトー ある香水商の隆盛と凋落」 オノレ・ド・バルザック

大矢タカヤス 訳  バルザック「人間喜劇」セレクション  藤原書店

吉祥寺読みた屋で購入。
(2012 11/03)


自己鏡像の夢


今日からというか昨夜から、バルザックの「セザール・ビロトー」読み始めた。主人公はタイトルそのもののセザール・ビロトー。香水商で、毛生え薬や土地転がし投機での栄光と没落が描かれる。人間の欲望をテーマとする点ではゾラと同じだけど、社会学的なゾラに対し個人の欲望の凄まじさを描くバルザック。それには作家本人のそれもあったのだろう…

といいつつ、小説の最初に出てくるのはビロトーの妻。彼女の夢から始まる(なかなかに巧いオープニング…当然、この後の展開を暗示しているのだろう)。それが標題に掲げた自己鏡像の夢。店番をしている自分と、物乞いをしている自分。両方に両方の声が、それぞれに聞こえる。

でも、かなりの美人の設定のこの妻。この後、投機とか野心などの夫の話に猛反対する。なんか、意外。一緒になって欲望の虜みたいになった方が面白そうだし、有りがちかと。欲望関係は全部セザール(シーザーのフランス語読み)にお任せ、ということかな。例えば、前に挙げたゾラなら二人とも欲望まっしぐらに書くだろう…
(2013 04/30)

フランスブルジョワの知識って…

昨夜読んだ「セザール・ビロトー」。そこにはこの時代のフランスブルジョワの知識の限界みたいなのが1ページくらいに渡って書いてあって笑えてしまう。といっても自分もひょっとしたら同じ穴のタヌキ?…あと、ここら辺りで物語の後ろの方で重要になってくるしつこいまでの?公正さ真摯な性格の片鱗をかいまみさせてくれます。
いまのところ、え?この人物が主人公?的な感じですが、これからいろんな風変わりな執拗さが出てくるのだろう、バルザックのことだから…
(2013 05/02)

モリヌー氏の変な描写ほか


「セザール・ビロトー」昨夜読んだところからp101のモリヌー氏の描写を。
バルザックによれば、モリヌー氏はある種の苔がアイスランドにしか生えないのと同じようにパリにしか存在せず、さまざまな異様かつ不潔な家々に好んで棲み、それらの漆喰いの壁の上、中、あるいは下で発生し死んでいく隠花植物から成る…らしい。どんな奴だ?と思ってしまいますが、博物学盛んな時代を反映もしているみたい…ここまでイメージを重ねられると(実はまだあるのですが)、もうモリヌー氏とこのイメージが切り離せられない…

この家主モリヌー氏の場面が終わると、パリの街をなんかパリ全体を大きな生き物に見立ててその内臓かのように描く描写も。解説にもあったけど、これはバルザック特有の上から鳥瞰した書き方。ここにも博物学的な影響も。
(2013 05/07)

クロンバンとフィル


昨夜の「セザール・ビロトー」からこれまた対照的な脇役人物二人。
クロンバンは悪役のティエに雇われた感じのニセ銀行家としてセザール家に現れる。少し前のところでティエが「銀行家ってのはこういうふうにやるんだよ」っていろいろ教え込んでいたのに、実演はかなりボロが出てた感じ。でもなんか憎めなさが楽しい。

一方フィルの方は、ゴティサールの紹介でセザールが売り出す毛生え油のキャッチコピーを書いてくる。このコピーの冒頭はなんか今でもテレビショッピング辺りで使っていそう。このフィル、文学の才能がないと認める代わりに、文学の世界に搾取者として立つとされており(p171)、なんかここにもバルザックの事業への熱意とか失望とかいろいろ複雑に絡んでいそう…
そして、搾取はやがて仕事となり正当化される。と、そういう流れが人間の歴史の大きい流れなのでは、と考えてみたいだけ。
(2013 05/09)

ロガン20万フラン持ち逃げ


「セザール・ビロトー」の第二部の始めの方。舞踏会という蕩尽のあと、セザールの破綻に至る苦悩が始まる。正直、商売や投機のいろいろな数字や形式や法律の辺りはよくわからなかったけれど、バルザック自身の事業のいろいろな熱意(と、困窮)が混ぜられているのは伝わってくる。唯一自分にもわかる?のが、標題の持ち逃げ。
勇気とは結局のところ期待なのではないだろうか、と今日読んだところの最後にあった。セザールはやっと自分の計画を頭の中で立て直すことができて、期待を持ち直すことが、この時は可能だった。
(2013 05/12)

自分の意見

 彼は情勢に翻弄された。まるで旅人が鬼火のあとを追いまわすように、彼は他人の意見、つまり自分の意見にしたがった。
(p240)


さてさて、果たして読者たる自分はセザールのことを他人事としてみなすことができるのか。
もう一箇所今日読んだところで、バルザックはその人の特性を表す身体の部位が病気になると痛むものだ、という説を披露。「横隔膜でものを考える人は、そこらあたりがすぐ痛くなる」云々。バルザックの変に科学を取り入れた一面。でもとてもユニーク。
(2013 05/14)

広告とロビィスト


「セザール・ビロトー」知らず知らずのうちにこの小説の読みどころのうちの一つにさしかかってきた。
セザールの店から分かれたポピノの店の毛生え薬の広告戦略と、それからセザールが相談しに訪れた大銀行家とその取り巻き。前者については「まだこの頃は無邪気な時代で」とあるように、広告というものの可能性もそれから新聞というものの力もあまり知られていなかった。それから「闘技場」がそちらに移るわけだけど、この小説の時代設定と、それからバルザックがこれを書いていた時代ってどれくらいの開きがあるのだろう。

銀行家の方では、セザールは騒がしいロビーの中で右往左往しながらもなんとか面会に成功したらしい…のだが、セザール自身の立場(王党派)と全く違う左派の空間に置かれたセザールの困惑ぶりも楽しめる…セザール本人には意地悪いですが…
(2013 05/16)

セザールのヘマと最後の平和


「セザール・ビロトー」の方は、ポピノの店に行ったビロトーとラゴン夫妻の晩餐会。
ポピノの店では、元店員とはいえ今は分かれている店長であるポピノの頭を他の店員の前で撫でるという「ヘマ」をしてしまう。このちょっと前のディ・ティエのところでもそうだったけれど、こうした「ヘマ」を連発するセザールに対し、書き手バルザックは一方では冷笑、もう一方では暖笑?を含んでいるみたい。
続いてのラゴン夫妻の晩餐会の場面は、こじんまりした和やかな印象だけど、なんだかこういう平和な場面はこの小説ではここが最後になるのかな、なんてちょっと思ったりして。
(2013 05/18)

エネルギーとカタプレキシー


「セザール・ビロトー」読み進めて今3部に到達したところなんだけど、なんというか、うまくまとめられなくて…

この小説の一つの主要テーマが、人間はどうやって生命エネルギーを使っていくのか、みたいなところにあるみたい。また、前に「神経症者のいる文学」でみたテーマもあって、度々(昨日読んだところでは破産が決まった時)意識がなくなって寝込む…これをバルザック自身カタプレキシーと呼んでいるけど、それが合っているかどうかは別として、このエネルギーと精神的な問題は、この小説のもう一つの主要テーマである経済的なここでは破産などの問題と、実は裏表をなしているのではあるまいか。素朴な読者が思っているより緻密に。
(2013 05/21)

喜びは苦悩と同値?


つい先程、「セザール・ビロトー」を読み終えた。小説本体部分だけで、解説と対談は未(ってもちら読みは例によってしているのだが)。
第1部でアンセルムやセザリーヌの恋愛に対するなかなか覚めた作者の見方が面白かったのだが、だんだんそこら辺の記述がなくなってきたのが、何作品も同時に書き進めていたバルザックらしいというか、なんというか…

ラストは借金を利子つけて返済して破産宣告解除を受けた絶頂のセザールが、第1部の再現でもある舞踏会で喜びのあまり死に至る、という場面。ここに至るまでちょこちょこそれを暗示させる文がはさみこまれていたので驚きは(今の読者には少なくとも)あまりないが。過度の喜びは過度の苦悩と身体的にも精神的にも同じなのだ、ということは明→暗→明の三部形式ではなく、第1部の日常に対し第2部の苦悩と第3部の歓喜が対になって対応している形式なのだろうか。

バルザックの負債を返したセザール・ビロトー


「セザール・ビロトー」を解説と対談含めて読み終えた。ほんとはこの作品、原題はものすごく長いもの。

朝にこの小説の三部構成のことを書いたが、バルザック最後の校訂版(現在の主流の版の元、この本もこの版を元にした)では、第2部と第3部は分かれていなく章立てもない、という(この本では構成や章立ては最初の版を取り入れている)。変えたということは、バルザックの視点が変化してたということ。

続いて、解説・対談部分から引用。

 結局のところ、セザールはオノレの負債を返済したのである。
(p412、ブーヴィエとメニアルの評言から)

 バルザックの世界というのは一つの足し算なり掛け算の世界であって、人間が何人か出てきて、その人間たちがそれこそ情念引力で掛け合わされることによって人間の単なる総合以上の強烈な力が出てくる。
(p436、対談の鹿島氏の言葉)


前のp412の文は、実業家バルザックのことを言っているみたいだが、実はその負債は精神的なものも含めてなのだろう。後のp436の文は、バルザックの人間喜劇人物再登場の元となっているのだろう。一人一人は凡庸でも、情念引力か何かで話が面白くなる。これは日常レベルでも同じ。

人物再登場と言えば、この作品にもいろいろあるみたいだけど、ポピノが後の作品で大臣までになったり、ゴブセック、ニュシンゲン、ゴティサールのそれぞれの作品が前にあったり(藤原書店版「金融小説名篇集」でまとめて読める)、まあいろいろ。
(2013 05/23)

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