「講演集リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大 他一篇」 トーマス・マン
青木順三 訳 岩波文庫 岩波書店
大岡山のタヒラ堂で購入。
(2016 05/22)
いつかの音楽
今日からマンのワーグナー論を(ヴァーグナーかワーグナーかは気にしないで(笑))。
この講演がナチスからの批判にあって、マン自身が亡命生活を始める端緒となった背景は有名だが、まずは内容を。ワーグナーには心理学的側面と神話的側面があって、前者ではフロイト的な解釈が見られるとしていて、この部分など随分批難を浴びた部分ではある。
これは神話的側面の箇所。
この後はワーグナーの芸術の全体性(音楽始め、言葉や視覚的要素全てを組み合わせた時に、ワーグナー芸術は完成する)の話へ。とはいえ、ワーグナーが絵画など造形美術に疎かった(パリにいてもルーブルには一度も行っていないなど)というのは、やはり意外・・・
ディレッタントって何?
(2016 08/14)
1日2時間しか仕事しない男
マンのワーグナー論からワーグナーの逸話的話を。
あんまり知られていないかもしれない?けど、ワーグナーもかなりの虚弱体質であったようで、ペースとしては1日2時間しか仕事ができないこともあったそう。そして自己懐疑の癖も強く、また時には先人の作曲家をなりふり構わず非難するということも度々…そして、ショーペンハウアー哲学にやっとよりどころをみつけたわけだが、それは若き日のマンも同じこと…
そうそう、ディレッタントとは辞書を見ると芸術・学問愛好家とある。文脈からすればワーグナーにはアマチュアの寄せ集めみたいなところがある、というところか(ニーチェが言及)。その寄せ集めまとめあげるところにマンはワーグナーの偉大さを見ているみたい。
(2016 08/16)
ボードレールにとってのポーとワーグナー
標題はボードレールが自分自身をみつけたという他の芸術家(ドラクロワを付け加えて)。
こういう但し書きが一番気になる。運命の悪さを呪うのは自身の性格を呪うこと。
この辺どうかなあ…ただ一つ言えるのは、若き日に書いた「非政治的精神」のマン自身がその幻想の只中にいたということ。
「苦悩と偉大」の講演終わって、次の「ニーベルングの指輪」の講演に入ったとこ。
(2016 08/17)
ニーベルングの指輪講演
マンの「ニーベルングの指輪」講演は、チューリヒでの全曲上演を記念して書かれたもの。同じスイスで革命運動に敗れたワーグナーが亡命し、そこで指輪構想始め多くの作品が書かれた。
「ニーベルングの指輪」の場合、最後の劇から徐々に前の劇に発展してきた、という論点はこの前の講演にもあったけど、こっちの講演では、それがドラマの必要性からではなく、専ら音楽の必要性からであることが語られている。
最後はこの本の冒頭に呼応するかのように、またゾラとの対比で終わっている。
(2016 08/18)
補足:ゾラとワーグナーとマン
ゾラとワーグナーを結びつける傾向はマンの中に確かにある。「講演集 リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」に収められている標題作と「リヒァルト・ヴァーグナーと『ニーベルングの指環』」のどちらにもゾラへの言及(他の作家や芸術家も出てくるけど)がある。マンの中ではかなりの確信であったのだろう。
「ニーベルング…」の方の論文では、共通性もあるけど、どちらかと言えば違いに触れられている。ゾラの属するフランス的作品の社会に向けたというか根ざした精神と、ドイツの社会や政治に無関心な精神と。こういう国別な分け方はどうかとも思うけれど、これはこの講演時の切羽詰まったドイツの状況に警告を送る為でもあったから…
(2019 02/08)
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