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「スピノザ 人間の自由の哲学」 吉田量彦

講談社現代新書  講談社

以前、光文社古典新訳文庫版で読んだ、スピノザ「神学・政治論」の訳者の入門書。
(2023 01/07)

スピノザの誕生日とユダヤ教徒の破門


スピノザの誕生日。実は誕生日とされている日付は、没した日からの逆算で出されたもの。ある古伝に「スピノザは何日間生きた」というものがあり、そこからその古伝をフランス語訳(確か)した人が計算して求めた(なんで古伝の著者自体は計算しなかった? そしてフランス語訳の計算も最初は間違っていたらしい)。

ユダヤ教徒には、破門が三段階あるという。スピノザ自身は二段階目。その親の世代にも破門された人がいて、その人は嘆願して屈辱を耐えて破門は解かれたが、その屈辱が原因で自殺してしまったとか。この人とスピノザの「交流」を題材とした文学や絵画もあるが、実際に「交流」があったかどうかは不明(あった可能性はある)。

第3回「町から町へ」

アムステルダムからレインスビュルフ、フォービュルフ。そしてハーグとだいたい南西方向へ。スピノザは移転を繰り返す。
演劇を取り入れたラテン語学校でラテン語を学ぶ(元々のスピノザの母語はヘブライ語)。それはスピノザの著作の中の一分野にある文体から、状況証拠で推測されている。

書簡…現在では年代順に通し番号がついている。その一番古いのは、ドイツ人で英国王立協会(ロイヤル・ソサエティ)の会長をしていたハインリヒ・オルデンブルグ(ヘンリー・オルデンバーグ)。

押しかける客…破門されたスピノザのもとには、どんなやつかみてやろう的な「珍獣」扱いする輩もいたという。また少なくとも四通の書簡のやり取りをしつこくし、結局押しかけてしまったブレイエンベルフという人物は、20世紀になってドゥルーズに「「悪」についてのスピノザの考えが彼のお陰で明瞭になった」と称賛?されている。

レンズ磨き…望遠鏡などの製作者クリスティアン・ホイヘンスと協働していた。ただ実際どれくらいの収入があったか、また他の人の援助があったが、その割合がどうだったかは不明のまま。しかし少なくとも、レンズ磨きするほど貧しかった落ちぶれていた、という印象は誤り。先に挙げた通り、レンズ磨きは当時の最先端科学と直結しており、スピノザも書簡で自分の技に自信を持っていることを述べている。

第4回「どんな著作を遺したか」


「神学・政治論」、「エチカ」、「政治論」(「国家論」)以外のスピノザの著作。主に「知性改善論」と「神・人間及び人間の幸福に関する短論文」の書かれた順序についての研究。現在では「知性改善論」の方が古いとされているようだ。

 つまり人間の生も、生の中の人間のさまざまな活動も、人間以外の何かによっていつもすでに条件づけられています。
 そういう条件、つまり人間を含めた万物がいつもすでにそれにしたがって存在し活動している原理のことを、西洋哲学の伝統的用語では「神」と呼びます。
(p113)


ここの辺り、自分的には取り入れたい見方。見通しよくなりそうな。

 西洋哲学の用語法は、中世から近代にかけて大きな変貌を遂げました。近代以後の哲学用語を思い浮かべながら中世の著作を読むと、わたしも学生時代に体験しましたが、たとえ似たような言葉が出てきても意味が取れなくなります。じつは一七世紀はこうした変貌の過渡期にあたり、旧来のスコラ哲学的用語法を守りつつ同時代の哲学的課題に向き合おうとした人たちと、同時代の哲学的課題に適応するため用語法そのものを慎重しようとした人たちと、その両方が混在していました。
(p125)


デカルトやスピノザは後者とされるが、前者のような用法が全くないわけではないという。
次の第五回は、吉田氏の訳で読んだ「神学・政治論」の解説と重複箇所もあるらしい。
(2023 03/11)

第5、6回「神学・政治論」

ここの「神学・政治論」の2章は、前読んだ光文社古典新訳文庫版「神学・政治論」とだぶるので簡潔に(読んだのはたぶん3/11から今週前半)
オランダの政治情勢、総督派と議会派(中央集権か分権か)の違いよりも、宗教の主流派か反主流派か(どちらもカルヴァン派、ルター派その他でも、カトリックでもない)かが重要。かつ、この時期は主流派が強くなり、議会派の末期に出された「神学・政治論」はぎりぎり出すことができた。なおかつ、この後少しの時期はオランダが混乱の時期を迎え、その時期に若くして亡くなっていたスピノザは、少なくとも政治的攻撃を受けなかった。

「神学・政治論」を中心に見た、スピノザ、ホッブズ、ロックの違い。吉田氏によれば、哲学と宗教の関係を、スピノザと同年代のロック(「神学・政治論」をおそらくは読んでいてそれを「統治二論」で生かしたと推測)では、宗教に態度を改めてもらった上で関係を維持。スピノザは、話し合いはするものの、それは宗教と「協議離婚」をするため。ホッブズでは、宗教を捨てて「出奔」した後、捨てた宗教を宥めにやってくる(「リヴァイアサン」は他2冊と異なり政治論→宗教論の順)。
あんまり簡潔でもなかったか…
(2023 03/18)

スピノザと、ホッブズ・ステンセン・デカルト

今回も「簡潔」に、昨日と今日分。
ポイント3つに。

ホッブズとスピノザの社会契約論は順序が逆。ホッブズは自然状態があって自然権があったけれど、スピノザは自然権ありき。自然権は魚の例であるように「魚に陸で生きろ」といっても無理、彼らは水中に棲むのが「自然権」。これと同じ人間の「自然権」が「考える自由、発言する自由」。幾多の政権がこれを弾圧したが「自然権」なので所詮無理。問題はなぜ、何回もこのような政権が現れるのか。晩年の「政治論」では社会契約という概念がもっと希薄に。あと、1676年にライプニッツがスピノザのもとを訪れている。

1672年のオランダの危機(英仏との戦争)、それを乗り越えたウィレム3世の権力強化による「神学・政治論」の発禁処分と監視体制。2010年にバチカンで見つかった「エチカ」の写本。これは1677年(既にスピノザが亡くなって半年後)ローマでチルンハウスというスピノザの文通をしていた人(哲学的鋭さでは文通相手としては高い)が、カトリック説教師に取り上げられてしまったもの。この説教師はデンマーク出身のニコラウス・ステノ(ニールス・ステンセン)。「プロドロムス」という地球科学の書を書いた、地質学(貝の化石が山頂にある理由等)者だったのが、その後カトリック説教師となった人物で、彼に言わせればこのスピノザの書による「感染」を防がねばならない。実はスピノザ自身、この「プロドロムス」を所蔵していた…どうやら前のレインスビュルフで暮らしていた時に知り合っていたらしい。「プロドロムス」では、聖書の時間と地質学時間をすり合わせようと苦心していたステンセン、一方「神学・政治論」で聖書の年代設定が破綻しているのを指摘したスピノザ。

「エチカ」、デカルトとスピノザ。デカルトの「わたし」と「世界」をつなぐものとしての「神」。真理も正しいから真理ではなく、神がそう決めたから真理であり(永遠真理創造説)、世界も神が「その気」でいないと存続できない(連続創造説)。神は全知全能…「全知」を軸にとるか(主知主義)、「全能」を軸にとるか(主意主義)。中世哲学は後期スコラ哲学辺りから主知主義から主意主義へ移行し始め、デカルトの先の創造説もこの流れにのっている。それを断ち切ったのがスピノザ。世界の存在は外的要因ではなく、内側にある。「実体と様態の他には何も存在しない」、「神以外にどのような実体もありえないし、考えられない」、よって神以外の「実体」とされてきた世界の様々なものは「様態」である。

 それは世界が神の「様態」だからです。そしてこうした様態こそ「神のさまざまな属性を、ある決まった仕方で表現している」ものに他ならないからです。
(p261-262)


(2023 03/26)

第11回 自由意志の否定から始まる、自由の探求

ここは前に読んだ木島氏の自由意志論にも言及がある。まず(本書とは説明順を逆にして)、スピノザの決定論は完了形(過去)のことしか扱ってはいない。未来については「起こってみなければわからない」。そして「過去」から現時点では、その現象には必ず原因や理由(スピノザに対する批判の一つに、原因と理由を区別していないというものがある、という。ここも突っ込みたいところ)があり、そこはなるようになったのであり、自由意志は存在しない。ここでスピノザが勧めるのは原因の追及であり、それをうやむやにして何かに誰かにその責任を押し付け転嫁することを認めない。

 じつはこれは『エチカ』のその後の展開を決めるために欠かせない議論なのです。自由意志のないものも、自由でありうるか。もしありうるとしたら、その「自由」とはどのような意味の自由なのか。
(p270)

 たとえわたしたちに自由意志がなくても、いや、むしろ自由意志がないからこそ、そうした想像にまったく頼らずに生きていくことは、わたしたちにはできません。しかしそれは、未来というものがわたしたち人間の想像の中にしか居場所をもたない、徹底的に人間じみた概念だからなのです。
(p278)

 精神と身体が原因と結果の関係にないとしたら、両者の間にあるとしか思えない密接な結びつきをいったいどう説明したらよいのでしょうか。ここでスピノザは、あれは因果関係ではなく、並行関係なのだ、という論陣を張るのです。
(p282)


例の?意志の瞬間より身体を動かそうとする脳波の方がわずかに早いという実験は、このスピノザの並行関係説に(因果関係説より)近い。こうした研究を通して現在の心身論は、身体活動が本体で精神現象はそこに相乗りしていると考えている(この心か身体か問題は、時代とともに常に入れ替わるからどっちが正解というわけでもないけれど)。

話題は『エチカ』第3部、感情とコナートゥスに移る。吉田氏は、この第3部を「不思議な静けさと孤立感を台風の目にたとえた」という。
コナートゥスとは、自分の存在に固執すること(これはあらゆる物体全て)、人間でいうとその人なりのあり方にこだわろうとすること。ここだけ見ると、これは現代哲学では「実存」のことではないか、とも思ってしまう。もちろん違いも多いのだろうけれど…こうして次の第12回へつないでいく。

「能動的に」考えるとは


ということで第12回。
人間のコナートゥスは、自分で考える(納得する)ことにつながる。それは、前の「自然権」の言い換えでもある。ただ、裏返すと納得してしまえば、際限がなくなり極端にはその感情の奴隷となる。ここから『エチカ』は自分で「能動的に」考えられるようにする道筋を辿っていく。
逆に、感情で身動き取れなくなる道筋。二つの法則。連想と模倣。連想は感情が想起した時にたまたまそこにあった関係ないものを巻き添えにし、それが次のものへと…と連鎖していくこと。進むにつれて出発点を忘れてしまう。模倣は、「自分と似た何かが何らかの感情に触発されているのを思い浮かべると、自分もその感情に触発される」。「何か」は特別人間でなくてもよい。ああ、これはル・ボンの「群集心理」で出てきた(タルドはどうなのか、読んでない…)。こうして、これら二つの(まだあるかもしれない)法則によって、感情化?が進む。

 ひとの周辺世界に広がっている感情的に中立な対象の領域、つまり特に愛しても憎んでもいないものの領域は、こうしてどんどん狭められ、ありとあらゆるものが感情で塗りこめられていくのです。
(p304)


そこからどう自由の領域、何も塗られていない(塗られていても一旦保留する)領域を増やして考えていくか。ヨベル(「異端の系譜」)では暗い啓蒙、イスラエル(これは思想史家の名前)では穏健(その例としてヴォルテールやロック)でははなく、過激と位置づけられる。
(なんというか、この感情に塗りつぶされない、自由に考えられる領域を増やす、ということ、これを理性的に使うとか以前に、塗り潰されることに恐怖を抱いているのが、この自分(私)だとここ読んで強く思った。関係あるのかないのか(連想?)。絶えず何か学んでいかないと潰れてしまいそう、というのと並んで、自分の行動を進めている原則のような。でもこれも、出発点を忘れた感情の連鎖で歪められたものであるかも?)
(2023 03/27)

「エチカ」における三つの知と「政治論」

一気読みしようと思ったけれど、第15回の途中でやめておく。
「エチカ」における三つの知。「想像の知」「理性の知」「直観の知」。2、3番目のが正しく、最初の「想像の知」は誤った解釈の元になる。「理性の知」はそのままだが、直観の知とは理性的分析の手続きを飛ばして見えてくる知なのだという。この二つは相互補助的に進んでいく(理性の知をやり尽くして直観の知がやっとわかる…ような解釈もあるが、吉田氏は取らない。それは賛成だが、そもそも直観の知(手続き的記憶とか、暗黙知とか言われるものだろう)にそんなに信頼おいていいものか、「想像の知」と境界はっきりしているのか…もっというとスピノザは想像力に含まれる有用なもの(これも両面はあるが)に無関心すぎると自分などは思う。

スピノザの遺作ともいえる「政治論」。「神学・政治論」に比べると地味であるらしいのだが、前作と変化した点。社会契約の概念が更に薄くなる。それと考える自由、発言の自由を認める社会は栄えるという「神学・政治論」のテーゼが言及されなくなる(こうした自由がなければ社会は滅びるというテーゼは健在だが)。
スピノザの死後、すぐに遺稿集が刊行(もちろん地下)されたが、それからしばらくすると表には出てこなくなる。
レッシングは、当時スピノザに言及する場合「いつでも死んだ犬のように語って」いたと証言しているという。

 犬の死骸はむしろ、うっかり出くわせば扱いに困る不穏なものであり、だからといって放置してしまえばだれにどのような迷惑がかかるか分からない危険なものであり、そしてそれにもかかわらず、具体的に何がどう危険なのかはっきりしない不気味なものなのです。
(p372)


(2023 03/28)

ヤコービのスピノザ論争


ということで、今日読み終わり。
残したのは2、30ページほど。その中での最後の仇花?は、ヤコービのスピノザ論争。最初、昨日も挙げたレッシングのところでスピノザの話を聞き、それをレッシングの死後、モーゼス・メンデルスゾーン(作曲家の祖父である思想家)と書簡の交換で話し合う。やがてメンデルスゾーンも亡くなり、ヤコービは「優れた反面教師」としてスピノザを批判する。理詰めでいく哲学では誰もスピノザを越えられないから、そこに落ち込まないように一般的な通念に「信」を置こう、とする。

 人間の理性がそれ自体は理性的に根拠づけられない暗黙の確信に支えられ、ギリギリのところで危うくも成立している、というヤコービの論点は、一見すると突飛に見えるかもしれませんがじつは決してそうでもなく、たとえば時代の近いところでは、やはり人間のあらゆる営みの根底に「暗黙の合意」の働きを見ようとしたヒュームのそれとかなりの程度重なっています
(p385)


こうした中、スピノザの著作全集(「遺稿集」ではなく)が刊行され、スピノザの思想もその一部(半分?)はこの後のドイツ観念論(フィヒテ、ヘーゲル、シェリング)に参照され展開されていく。この辺りは放置したまま?の、ヨベル「スピノザ 異端の系譜」に書かれているのかな。
スピノザ研究は、20世紀前半では引き続きドイツ、後半はフランスで主に発展してきたという。
(2023 03/29)

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