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小学生の頃にやっていたことを巡り巡って「今」やっている話

20代前半の頃である。
知人から「年齢の割に落ち着いた性格だよね」と言われていた。

内心は、落ち着いていないし。その場でじっとできない自分だったため、他人から見えている自分と自分が思っていることは全然違うんだなということを知った。

今でこそ、休日は外出をして梅田、心斎橋、はたまた京都まで足を運ぶような日々を送っているのだけれど、小学生の頃の自分は正反対だった。近くの公園でも外出はしたくなかったし。家でずっとゲームボーイやNintendo64をしたい根暗な子どもだった。

ポケモンだって151匹、金銀を含めると251匹の名前が頭に入っていたし。裏技だって誰よりも早く実践をしていた。

スタートボタンを押して道具の7番目にカーソルを持っていき、セレクトボタンを押しっぱなしにして、野生のポケモンと戦うと一気にレベル100まで上げて強制的にチートを使って遊んだり。

幻のポケモンを捕まえるべく、一度バグらせてから捕獲して。元に戻してゲームを再開したりと、今では考えられないようなことをして遊んでいた幼少期であった。

特にゲームボーイは画期的だった。持ち運べるし。白黒からカラーに変わった時期であり、「外に遊びに行ってくるわ〜」と言って近所の公園に行き、友人たちと集まりポケモンバトルや通信交換をして遊んでいた。

通信ケーブルを持っている人は神と崇められていた。今では考えられないけど、有線が当たり前。近所のコミュニティだけでなく、無線で全世界の人と遊べる。

そう思うと、「すごい時代になったんだな……」と、

そう考えると、今も対して変わらないのではないだろうか。というのも、ゲームという対象がネットに変わっただけなのである。

ノートパソコンを持ってカフェもしくはコワーキングスペースに行って、作業をしている。1人で物書きをしたり、写真の編集をしたり、通信ケーブルの役割がWi-Fiスポットだったり。気の合う仲間と一緒に集まって、時間を決めて作業をしたり。よくよく考えると、小学生のときにしていたことが、最先端のカタチになってやっているのである。

現実世界はポケモンのようにレベルが数値されるわけではなく、自分の使える技が4つまでという制限はないけれど、目には見えない経験値を今も創作を通じて表現している。上を見るときりが無い。自分よりも優れたものを書いたり、撮ったり、自分はまだまだ未熟だなっていうことを体感する。

人生もRPGのように良いイベントもあれば、思うようにいかなくて泣き出してしまいそうになる。目の前が真っ暗になってしまうことも。

ずっと同じ場所に留まらなくて、外の世界を見たくなったり。落ち着きのない人生で、「落ち着く」という単語が遠く感じるのだけど、日々レベルアップしていることを願いたい。


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