ググる単語は不老不死


気軽にググることができる時代。インターネットを知った自分は、必ず1年に一度検索するものがある「不老不死」という単語だ。

きっかけは、某有名アニメのキャラクターがなんでも願いが叶うという龍神様に「俺を不老不死にしろ!」という場面がずっと頭の中にある。ストーリーの中でそのキャラクターの願いは叶わなかったけど、実際に叶っていたらどうなっていたんだろうと考えている。

また、現実世界でも始皇帝が「不老不死」に憧れを抱き、家臣に仙薬を作らせようとするほどなのだから歴史が変わっても永遠の命を手に入れたいと思う気持ちは万人の願いなのだろう。

実際、幼少期に祖母が亡くなった際、
母が「おばあちゃんは、遠い場所に行ってしまったんだよ……」と聞かされ、死ぬことをやわらかく伝えようとしたのだ。

そのとき自分も「遠い場所なら帰ってくるんだよね」と答えた。疑うことを知らない少年は、数年後祖母の写真が部屋に飾られ、死という概念を知るのであった。

その光景を目の当たりにしてから
「歳はとりたくないな、死にたくはないな」
無意識にパソコンに「不老不死」の単語を入れてはググっている。

それほどまでに死という概念を忘れ、いつまでも生きていたいという憧れを持っている。どんなにお金を積んでも自分が生きた時間は戻ってはこない。小さいながらも時間に関して考えることが多い人間になってしまった。

自分が生まれて30年ほど経つ。どんどん新しいものや面白いものが増えていく。今まで、面倒だなと思えることもボタンひとつで簡単にできるようになり、やりたいこともできることも多くなってきた。だからこそ、未来がどんな風になって変わっていくのかをずっとみてみたい好奇心がどんどん湧きあがってくる。そう考えると時間があまりにも足りない。

それでも、ツイッター上でインフルエンサーと呼ばれる方々は、人間の死は超えられないという考えがあるのか「概念」になるという言葉を使う。確かにそのとおりではあるが、新しい技術が続々と登場しているのだから「概念」だって乗り越えられるのではないかと思う。インフルエンサーだからこそのオモテには出てこない有益な情報、いつまでも生きていたいという承認欲求は、並並ならぬものを持っていそうな気がするからだ。

テクノロジーの発展によって、様々なことができるようになった。
平均寿命の上昇、医学の進歩などによって「死ぬ」という言葉が遠い言葉になってしまうほどだ。それでも、まだ死を超えられない。だったら今生きている記憶をそのまま電子データとする。

そして、インターネット上で生き永らえることはできるのではないか。と以前、友人と居酒屋でそのような話をして本気で語りあってみた。だから、早く「不老不死」に近い存在になりたいと…

今の記憶をUSBメモリやクラウドなどに保存して身体が若いままの状態のバックアップを取り、生身の身体がなくなっても機械の身体にその記憶をそのまま移行して死という概念を超えて未来を見てみたいという単純な理由だ。

今は現実的ではない可能性も、テクノロジーの発展で可能になる。その頃には「不老不死」という単語もなくなっているのだろう。

今、日本の未来も世界の未来もネガティブでポジティブなニュースがほとんど流れてこない。それもたった数年で変化していくのだから、100年以上生きていれば、そんな悪いニュースもそのときの小さな失敗みたいなもので、時間が経てば良いニュースに上書き保存されているのではないか。「あのとき、あんなことがあったけど時間が解決してくれたよ」ってあっけらかんなものになって。それと同じく、誹謗、中傷を気にせずに他人と違うことを挑戦できる環境も整うのではないかと考える。

今日もまた「不老不死」をググって一日でも多く長生きする方法を検索して、死という概念を超える可能性を検索するのだ。そして、ひとつでも多く新しい発見や面白いものを見つけて、「あのときあんなことがあったな」って笑いながらって居酒屋で友人とお酒を飲む時間を増やしたい。

ただ、その頃には友人も生身の身体ではなく機械の身体で居酒屋の飲み物はカタチだけしか残っておらず、座席の周りに電源が至るところにあり、自分の身体を充電するためだけのコミュニティが形成されていそうだ。

それもまた、人々が考えた新しい「不老不死」のカタチで死という概念を超えた瞬間でもあると想像してみたりする。先のことを考えれば考えるほど不安になるというが、不安は9割起こらないという考え方もあるので、希望に満ちた未来が待っているのだと前向きに考えている。












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