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#たくましさのルーツ とは

「求められた読み手 ~書き手を信じる~」 オンラインイベント中にゲストスピーカーの嶋津さんから「たくましい人」と呼ばれた3名がいました。 illyさんナースあさみさん仰かおるさん

この3名が、驚くほどのスピードで立ち上げたイベント

「メンタルつよつよの会」presents 公開座談会 第1回 #たくましさのルーツ 〜不安だらけの「いま」を凌ぐ方法〜

に参加しました。

今は張りつめていても、もう少ししたら心がほころび始める人が出てくる。その時に読むことが支えになってほしい。

たくましい3名、そしてそこに集った仲間たちによる座談会のイベントレポートです。

画面に映る3名は、俗に言うムキムキとかたくましい姿ではありません。むしろ、柔らかく包み込むようなまなざしと穏やかな声で参加者を迎えてくれました。


お三方はたくましさのルーツを探るべく、学生時代のエピソードやターニングポイントを語ってくれました。たくましい人だからと言って傷つかないわけではない。むしろ大きな大きな痛みを伴う経験をし、学びに変えてきたからこそたくましくなったのだということが分かります。口にするだけでも勇気のいることを、あえてこの場で話してくれました。不安な今をしのぎたいと勇気を出して参加した私たちを信じて。それは、何とも言い難い、胸が締め付けられる苦しい過去でした。


◆誰に届いたとしても傷つけないことば


昔であれば紙に書いた文章が誰かの目に留まるには、人の手を介し、目を通し、幾多の段階を経て発表されていました。今では有名、無名問わず誰が書いたものであっても、簡単に世に送り出され、誰の目に留まるか分からない時代になりました。それだけに、つぶやきひとつであっても、不用意なことばが凶器になることもあり、自分に返ってくることもあります。

ことばの飛距離によって表現方法を変えるが、主張や内容は変えない。

書いて世に出した文章を後悔するのならば、熟読し、曖昧な部分を残したまま迂闊に発表しない。時間をかけて書いたものであっても、たったひとりでも傷つく可能性のあるものは発表しない。価値観、受け取り方は十人十色、この位と思った言葉が人の命にかかわることもあると、自戒の念をもってここに書き残します。


◆あなたには、まだやれることがある

性格、気質、気にはなるけれど、触らずに隠している方が安全という考え方もあります。自分の中の弱い部分を見なかったことにしてしまえば傷つくこともないけれど、あえてそこで殻を割り、中身を出してみるのか、それともそのままにして仕舞い込むのか、と仰かおるさんが話していました。

恥をかきたくないと心を開かずにいるのではなく、自分と対峙する。

逃げることなく弱みや狡さに向き合う気持ちを持った時、やれることがあると気づく。

分かっていた自分の心の狡さを、言い当てられたようでした。中途半端に開けては閉じ、言い繕う弱さの部分から逃げるのではなく、しっかり光を当てて向き合う勇気を出そう。ことばの持つ力を感じました。例え、たくましくなれなくとも、弱さも含めて自分であると認識できたら、また同じ状況に置かれたとしても捉え方が変わるはずだと背中を押されました。

◆恩送り

これまでに自分が受けた恩を受けた方に返すことはできない。目をかけてもらったうれしさや、恩恵を被ったことを少しでも伝え、次の人たちに恩を送っていくこと。この言葉が、私たちを信じて話してくれた過去の辛い体験につながっていたのだと分かりました。

依存度の高い人を作らない

優しい言葉に依存するのではなく、自分の力で立つ。


◆コミュ力は才能ではなく技術

今回、印象的だったのはたくましいといわれる3名とも、学生時代は友達が少なく、ひとりで本ばかり読んでいた、ザツダン力がないと感じていたということでした。気質や生まれ持った性格のものだと思い込んでしまっては、先に見える景色は全く変化しない。コミュ力は知識や経験の物量で向上することのできる技術と考え、本を読む、相手のあるコミュニケーション量を重ねること。その経験や知識の裏打ちがあってこそコミュニケーションに対する不安が少しずつ解消され、身に着くものであると知りました。

コミュ力は後天的な技術。磨こうと思えば、今からでも遅くない。


余韻を残しつつ、延長することなく第一回のメンタルつよつよの会は閉幕しました。


この短期間でたくましさとは何かと問いを立て、イベントを企画してくれた illyさんナースあさみさん仰かおるさん。それぞれの学生時代やターニングポイントから話してくれました。決して生まれた時からたくましかったわけではなく、総量としてこれまでに関わってきた人数の多さも関係していると話してくれました。研究者、医師、言葉でのコミュニケーションが取れない患者、多種多様な方と接した数で鍛えられた点もあり、言葉が通じない方にも伝える努力をし、こうやってたくましさを身につけてきたと知りました。経験の数があまりにも少なかった、私にはまだ見ぬ広い世界がある。もやもやと言語化できず、自分にはないものだと決めつけていたたくましさが、実は自らの意思で得られると知った時、どれほど今まで自分の弱さから逃げ、立ち向かおうとしていなかったかと気づきました。自分を受け入れ、こうなりたい、こうしたいと思うのなら、弱さを受け入れた上で補う道を探せばいい。

ことばや行動力が、後を歩む人の行動を変えていく。

あの日からすぐに行動に移し、イベントを企画してくださった


illyさん

ナースあさみさん

仰かおるさん


たくましさについて考える機会を与えてくださって本当にありがとうございました。









◆メンタルつよつよの会参加までの経緯 ~ここからは備忘録です~

近隣の人通りの多さを心配した家族による家からの外出制限、免疫力の低さから、地下鉄とバス通勤による不特定多数の方との接触、万が一の感染を不安視したボスからの出勤自粛提案。現状や体調を納得した上で出した決断であったはずなのに、先の見えない状況への不安におびえ、当たり前にできていたことが、あの日を境に突然すべて失われた事実を受け入れることができずにいました。

自分こそ味方である必要があったにもかかわらず、周りの方の協力や気遣いを台無しにし、感情のコントロールが制御不能になり、心の弱さを再確認し、自分で自分を貶めていました。


心がすでにほころびてしまっていた私は、誰かを名指ししたのではなく、「誰もがほころぶ可能性を持っている」とお互いに同じ場所で出会った仲間たちから優しく語りかけられた言葉を聴き、守ってほしい想いに駆られました。

あの時は、言葉を聞いてただただ涙を流すばかりでした。すでにほころびてしまった人という諦めがあったからかもしれません。

noteという表現の場に身を置き、誰に言われたのでもなく自らの意思で書くことを選び続けてきました。家族や長く付き合いのある友人にも話せない悩み、心の奥深くにしまい込んでいたトラウマのようなものも、ここに書き置いて思考から切り離し、手放すきっかけになってくれました。

今、ここを拠り所にしたら、私の内部にしか存在しない闇に落ちていくスピードを遅らせ、残る力を振り絞り這い上がれるのではないか、とその場に踏みとどまる思いが芽生えたのを覚えています。

数日後、メンタルつよつよの会オンラインイベント開催のお知らせを受け、いつまでもこうしてはいられないと内省を始めました。心をしっかりと持ち、お三方のお話を聴き洩らすことなく冷静に受け止める態勢を作りたい、今の気持ちと、なぜこんなに落ちてしまったのか、落としてしまったのか理由を書き出し、整理したうえでこの日に臨もうと決めました。少し前向きな気持ちを持ち始めたような気がしました。

つよさ たくましさ

たくましさを持った人とはどんな生き方をしているのか。たくましくなることはできるのか、心にたくましさを持ちたい。

変われる?変わりたい 強くなりたい



ここ数日の心の変化を、備忘録として残します。

大事なことを忘れてしまいそうになったら読み返すために。






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