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多様性?ポリコレ?ディズニー実写映画『リトル・マーメイド』から見る、ディズニー映画の使命

2023年6月9日より、劇場公開されるディズニーの実写映画『リトル・マーメイド』。

配役が発表されてから、賛否両論という内容で話題を呼んでいます。
主人公のアリエル役に黒人が選ばれたということで、「イメージと違う」という意見が多々あるようです。


今回は、実写版リトル・マーメイドに関する賛否の意見、そして、ディズニー映画の作り方について深ぼってみたいと思います。

■否定派~ポリコレに利用されてるだけ?~

否定派の意見で圧倒的にく使われている単語が『ポリコレ』です。

ポリコレとは「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」の略で、直訳すると「政治的な正しさ」になります。 人種や性別、宗教などの違いから生じる差別・偏見を含む表現によって社会の特定のグループに不快感を与えないために、公正かつ中立な表現をしようという考え方、またそのための対策のことです。

映画の「ポリコレ」は悪なのか?映画界のポリコレ的動きや炎上から考察してみる | ciatr[シアター]

2010年代ごろからポリコレを意識した作品は多くあり、スーパーマンの息子がバイセクシャルであったり、007の主人公が黒人女性であったり…。
背景には多様性を重視する活動団体に配慮しているようですが、揃って今までのイメージにないキャスティングをされる姿に、違和感を通り越して嫌悪感を抱く人が少なくありません。

そんな中、赤髪で白肌で慣れ親しんできたアリエルに黒人俳優が起用されたことで反発を起こす人も少なくないでしょう。
そしてこれは、同じ黒人の方々のなかでも、同じ思いを持つ方が多くいるようです。

■肯定派~私みたい!~

今回の記事を書くにあたり、肯定派の記事を探しましたが、なかなか見つけることができませんでした。

その中で見つけたこの記事

記事の中では、黒人の少女たちが、アリエル役のハリーベイリーが画面いっぱいに映し出されるをを見るや「私みたい!」と叫び、中には泣き出す子までいます。

人種による差別がまだ色濃い欧米圏、ディズニープリンセスといえばやはり白人が主流である中で、自然と「自分ではない」という植え付けがあったであろう少女たちが受け入れられたと喜ぶ瞬間でもあります。

学ぶことを禁じられ、奴隷として強いられた歴史を持つアフリカ系黒人にとって、幼いころに慣れ親しむ自身のルーツである寓話が極端に少なく、周りにあるおとぎ話は白肌やブロンドヘアと自分とかけ離れた人が美しいと、そうじゃない自分が卑屈になるのも容易に想像できます。

そんな中現れたハリーアリエルは、彼女たちにとって、そのままの自分を受け入れられる十分なきっかけを与えてくれるに違いありません。

■リトル・マーメイドはそもそもディズニーオリジナル作品

1989年に公開された『リトル・マーメイド』は、4番目のディズニープリンセス映画であり、前作の『眠れる森の美女』からは、約30年たっています。

それまでのディズニープリンセスが、
「外的な要因に翻弄され不幸になるが、王子様に助けられ幸せになる」
という、受け身的な女性なのに比べ、リトル・マーメイドからは、自身で幸せをつかみに行く主体的な女性になっています。

映画が公開された1989年当時は、貝殻のビキニをつけた娘が父親に反抗するというストーリーは、特にキリスト教保守派層からは反発もあったようです。

このように、ディズニー映画は、反発を受けつつ、常に元のストーリーを今の時代の価値観に置き換えて表現しているのです。


■『新解釈』としての期待

当時少女だった私には、今までのプリンセスとは違い、自分で王子様との幸せをつかみに行くアニメ版アリエルは、新鮮でかっこいい女性に感じられました。
しかし、私よりも下の世代の女性たちにとっては、子供たちに見せたくない映画になるようです。
それは、アリエルの行動が、自己犠牲の上で男性に尽くす姿として投影されているからだそうです。

原作では、夢がかなわない現実に直面し死を選ぶラストだったのが、夢をつかみ取るハッピーエンドに変えたディズニー版『リトル・マーメイド』。
時代に合わせて物語のあり方、主人公のあり方を表現してきたディズニー映画は、2023年のアリエルをどのように表現されるか、今から楽しみです。

少なくとも「配役を黒人に変えただけ」という、残念な感想が乱立しないことを祈っています。



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