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コロナ患者とその家族の現実⑨(最終回)

11月から書き始めたこのシリーズも、いよいよ最終回となります。

妻は8日間の入院となりました。

その期間は、僕にとってじわじわと追い詰められるような不安との戦いとなりました。

不安の正体は、「自分も感染していることへの恐怖」これに尽きます。

患者の家族は、症状の傾向や対策を必死に調べて、少しでも自分にできることがないかと動きます。

つまり、コロナに関する知識が増えていきます。

家族が苦しんでいるときは、それを看病に生かすのでまだ頑張れるんです。

でも、その本人は入院していった。
家に1人になると、その溜め込んだ知識が今度は自分を苦しめます。

「潜伏期間は数日から数週間」
「喉の痛みや咳など風邪の症状が出る」

これらの基本的な情報が、自分に襲いかかってくるかのように感じられるのです。

朝、起きたら熱が出ているのではないか。
喉が痛い気がするのでは?気のせいか。

家族が苦しんでいるのを間近で見てきたからこそ、自分にも同じ苦しみが降りかかってくるのではないかと不安にさいなまれる。
夜が来るのが怖くなる。

そして、僕は濃厚接触者なので外出ができない。
これも、気持ちが沈んでいく要因の1つでした。

コロナ患者の家族は、最後に患者と接触してから2週間は自宅での健康観察機関(外出自粛期間)となります。

僕の場合は、妻が入院した8月19日が最後の接触日なので、その14日後、つまり9月2日までは自宅から出られませんでした。

自身の体調の変化の不安に苛まれる、とてつもなく長い2週間。
その間にも、コロナ患者の方の痛ましいニュースがたくさん報道されました。特に妊婦の感染者を取り上げたニュースがこの頃から増えました。

それを見ては震えあがり、夜は眠れなくなりました。
寝ようと思い布団に入ると目がさえてきます。

心因性の自律神経失調症になっていたのだと思います。

症状が軽い人や無症状の人もいれば、一気に重症化する人もいる。そのような「かかってみないとわからない」というところが、コロナの恐ろしいところであると思います。


妻の症状については、肺炎を発症しておりしばらくは激しい咳が続いたままでした。

妊婦さんは、赤ちゃんが内臓を圧迫し、飲める薬も制限されているため重症化しやすく、感染すると大変危険です。入院できていなかったら、命は危なかったそうです。

8月27日。妻は無事に退院しました。


9月6日、ようやく僕は仕事に復帰しました。
学童クラブでの子どもたちの騒がしい声は、僕を勇気づけてくれました。

毎日行くところがあって、一筋縄ではいかない子どもたちと過ごすことがいかに幸せな毎日だったかを、実感しました。


そして、11月9日に、第一子が誕生しました。

大変な危機を乗り越えて生まれてきてくれた我が子、
命のかかった病気と出産を乗り越えてくれた妻には感謝しかありません。

12月いっぱいまで、僕は2か月の育休を取っています。

最初は腕の中にすっぽりとはまって弱々しかった娘は今、格段に大きく
なり、僕は腰痛と戦う毎日です。



僕の場合は幸運なことに元の日常を取り戻すことができましたが、そうではなく命が失われてしまったり、辛い思いをした人がたくさんいます。

「自分は大丈夫」これが通用しない現実。

毎日仕事に行き、愚痴をこぼし、家に帰れて、コンビニに寄り、夜は眠れる。そんなふと当たり前に思える生活は、実は当たり前ではないのです。

また、オミクロン株が出てきてにわかに感染者数が増えてきました。
第6波が、近づいているかもしれません。


辛い時に人を頼れないというのが、人間にとって最もつらいことなんだと僕は思います。人が本当に追い込まれたとき、1人では生きていけません。

飲み込まれずに、いかに自分を保つのか。

その答えは、根性があるとか、メンタルが強いとか、ストレス耐性があるとか、そういったことは関係ありません。

日々、「いつもの自分」を感じながら過ごすことが、困難に立ち向かえる力を呼び起こすのだと思いました。

大変な1年でしたが、なんとか無事に家族と年を越すことができそうです。


最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
1月から復活する学童日記で、今度はお会いしたいと思います。




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