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コロナ患者とその家族の現実⑤(8/16僕のPCR検査を実施)

前回の続きから書いていきます。

妻の咳、発熱の症状がひどくなり、とてつもなく長い夜がようやく明けた8月16日。僕はほとんど寝ていなかった。

容態が悪化する妻の様子と、襲ってくる不安との闘いにもうすでに心も体もボロボロで、ろくに食事もとることができない。夜中から起きていたはずだが、何をして過ごしていたのかも覚えていない。

ようやく8時になり、妻がPCR検査を受けた診療の電話受付時間となった。すぐに電話をかけた。

「先日妻が検査を受けて陽性になった○○と申します」

窓口の方は覚えていてくれたようだった。
要件は、僕のPCR検査と妻の薬をもらうこと。

この3日間、妻は何も処置をされずに寝ているだけの状態。
お願いだから、助けてほしい。
相当、切羽詰まってしまっていた。

救急を呼んでも、搬送してくれない。
濃厚接触者である僕も、買い物すら許されていない。

薬を取りに行くことも叶わないのではないかとすら思った。(代理の方に取りに来てもらってください、とか言われるんじゃないかと本気で思った)

すがるような気持ちで薬を処方してくださいと頼んだ。

窓口の女性は、僕の辛い心の中を汲んでくれたかのように、
「それは辛い状況ですね。力になりますよ」と言ってくれた。

まず、咳止めと鼻づまり解消の薬を処方してもらうこと。
妊婦でも飲めるものがあるかどうか、産院に連絡を取ってくれると言ってくれた。

さらに、僕のPCR検査を実施するために診療所に行ったときに渡してくれるようスタッフに情報共有してくれるとのこと。
僕の検査実施は11:00となった。

よかった、薬がもらえるんだ。

この時に対応してくれた方の親切な声掛けは、今でも鮮明に覚えている。

電話を切ったあと、僕は一人で泣いた。
気を張ってなんとか自分を保っていたものが、人の優しさに触れて少し緩んだからだと思う。
人の優しさが、これほど身に染みたことはなかった。

薬が効いたら、少しは楽になるだろう。
そう思ったら、ちょっとだけ元気が湧いてきた。

妻はこの数日ほとんど固形物を食べておらず、ゼリーやヨーグルトばかりで過ごしていた。さすがに栄養不足に陥るだろうと思い、家にある材料でカレーを作った。

「熱ある時に辛いものはきついんだけど」と、妻がほとんど手を付けなかったときは、甘口のルーもあったのになぜ辛口を選んだんだろうと自分が悲しくなった(-_-;)

いよいよ11時になり、診療所へ向かった。
PCR検査は唾液を調べるというもの。わりとすぐに終了し、念願の咳止めと鼻づまりの薬、そして点鼻薬をもらうことができた。

戦時中のような話だが、本当にこの時は救われた気持ちだった。


すぐに帰って、妻に薬を飲ませた。
ようやく訪れた一安心。

だが、咳は本当にひどいものだった。
発作のように激しく咳き込むときは、体に多大な負担がかかっているのではと、心配になった。


僕の携帯が鳴った。保健所からだった。
「今、○○さんのお宅のポストにパルスオキシメーターを入れておきました。朝昼晩に奥さんの酸素濃度を測ってください。91を下回ると危険なので、保健所に連絡してください」

何の機械かあまりわからなかったが、要は数値が低いと酸素が体に行きわたっておらず危険ということだ。

コロナの症状は軽症なら一週間から10日がピークだという。妻は熱が寝始めてから5日目を迎えていた。

薬を飲んだあと、妻は眠りについたようだった。
鼻は詰まっているようで、口で呼吸をしている。

とりあえず今は発作は起きていない。
この時間が、唯一僕も心が落ち着く時間だった。

安心したのもつかの間。
決まって、夜になると症状がひどくなる。

熱が上がり、咳がひどくなる。

おなかの子どもは、一応胎動はあるみたいだが、本当に大丈夫なのだろうか。不安の波が一気に押し寄せてくる。

19時ごろ、保健所から連絡があった。
体温と酸素濃度を報告する。

入院できる可能性を聞く。

「他にも妊婦さんの患者さんがいまして、空きが出ないんですよ」


ニュースで医療の危機に陥っているという報道を見た時に、聞いた言葉がまさか自分に向けられるとは思っていなかった。

果たして、自分は陰性なのか、陽性なのか。

今、発熱や風邪の自覚症状はない。

明日を待つほかない。

また外が暗くなってくる。大嫌いな夜がまたやってくる。躁鬱のような気分を味わいながら、過ごしていくのでした。

8月17日の様子については、また次回書きたいと思います。ありがとうございました。



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